感覚を他人と共有している、あるいは、できている、と考えるのは、ある種の信仰である。逆に言えば、この信仰に基づいて良いということであれば他人と感覚を共有する装置を発明できるかもしれない。僕が見ているこの青色が、別の誰かが見ても全く同じ青色に見えていると信じるのであればということだ。

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かつくん
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