服とインテリアにトキめいて。あたらしい自分がすぐそこに
出会ってしまった。
大袈裟だが、こんなに服にトキめいたのは人生で初めてかもしれない。
ここ数年、ファッションを試行錯誤していた。
数年前までは自分が可愛く見える服を着ていた。服自体は量産型で特に魅力はないが綺麗めで、女子ウケもよく、男子ウケも良い感じ。
つまり、無難で「普通の女性」に見えるファッションだ。
服自体は好きではないしそこまで愛せないが、それを着た自分は好きだった。
だが、仕事を休職した数年前から、もっと好きで、似合うファッションがあるのかもしれないと思い、試行錯誤していた。
胸をざっくり開けた服やピッタリと身体のラインが出る服にチャレンジ。
とても好きなスタイルだったが、胸を寄せると肩が凝ったり、気を抜くとお腹が気になってしまうので、着るのに気力を使う。少し疲れてしまうので続かなかった。
さらに、ビビットカラーの服、左右で違う色の靴下を履いたり、サングラスもアシンメトリー。そういう奇抜な格好はとても気持ちが軽くなる。でも、組み合わせが難しく、それを着ている自分はそこまで愛せていない。これからも試行錯誤が必要だ。
ある方にファッションのアドバイスをもらった時は、可愛いよりもカッコいい服の方が似合うと言われた。たしかにその方が気分が上がるかもしれない!と思いつつ、今の体型では着たい服が綺麗に着れないなと思い、後回しになっていた。
結局スタイルが定まらないまま、普段の生活が忙しくなり、そもそも見た目に毎日気を遣えるほど体力も気力も回復していないので、楽な服を適当に着る感じになっていた。
そんな時に出会ったのが、ベージュとイエローのブルゾンとロングスカートセットアップだった。
アシンメトリーのブルゾンは袖がシースルーで刺繍が施され、ロングスカートは布地が3段に分かれ、裾の部分はブルゾンの袖と同じ素材。
上品だが、個性的。
いや、でも、お値段がお値段だ。
一度店を出ることにした。
歩きながら、これを着た自分を想像した。
思い浮かんだのは、理想的な自分の姿だった。
これを着て、講演会かトークイベントかなにかに登壇して話している自分だ。
そうだった、こういう風になりたいんだった。
こういうテイストなら、この服自体も、これを着た自分も両方愛せる。
帰りにお店に寄り、試着をしてそのまま買ってしまった。
この記事を書かせるくらいに、衝撃的な出会いだった。
好きから離れたものに慣れ親しんでいると、自分のこだわりが分からなくなることってあるよなぁと思った。
部屋のテイストもそうだ。
今の家は、ダンナの家に私が転がり込んだので、彼のテイストだ。
そこに対して私は別に何とも思ったことはなかった。
引っ越すことになっても、インテリアは彼の希望を優先しようと思っていた。
衣食住の中で、衣食はすでに私の好みが優先されている。自分は住にこだわりがそこまでないから、今までのテイストのままでいいかと思っていた。
だが、インテリア好きの義母と話していた時「まよちゃんはどんなのが好きなの?」と聞かれたとき、スルスルと答えが出てきた。そこで初めて、あれ?意外とこだわりがあるぞ?と気づいた。
そのやりとりを聞いていたダンナは、特にインテリアには強いこだわりはないようで、私の好きなテイストにしようと言ってくれた。
片付けが苦手な私の好きなようにした方が、空間に注意が払われるのでないかと思ったらしい。
確かに、好みのストライクゾーンに入るものに出会っていない状態では、そこに好みやこだわりが存在することにも気づかないし、そこに注意を払おうという風にはならないのかもしれない。
興味がないのではなくて、好きなスタイルに出会っていないだけ、ということだ。
私は、今までのテイストがしっくりきていないことすら気づいていなかったし、好きなスタイルが自分にあるとも思っていなかったし、実際に実現できるとも思っていなかった。
思い込みは実にパワフルだ。
でも、今、その思い込みたちから脱しつつある。
インテリアも探してみると、意外と手の届く値段で好きなデザインのものがあるじゃん!と、るんるんで宝探しをしている。
服ももしかしたら、これだ!というものをこれからもっと沢山見つけることができるのかもしれない。
その好きな空間の中で過ごす自分はきっと、片付けがしたくなる。服もあの服を格好良く着たいから、シェイプアップしたいともの凄く思っている。
身の回りを変えていくと、自分自身もそうやってきっと変わっていく。
愛するものに囲まれた、あたらしいじぶんがもうすぐそこまできている。