“自己満足”という幸せ
本日は、ちょっとしたアイテムを生活に取り入れたことで長年のモヤモヤが解決したという話です。
わたしは『家に関する情報』が大好きです。YouTubeでは“ルームツアー”や“収納術”なんかをよく観ています。
でも、そうやってたくさんの知識や情報を持っているのに、なんだか自分の部屋に納得できないのです。
我が家はモノ自体は少ないし、家具もお気に入りのものだけでそろえているのに···。
わたしはセンスがないのだろうか?そんな風に思っていました。
しかし、あるアイテムを取り入れたことで我が家に対する感じ方が変わりました。
それは、“はたき”です。
たまたまお掃除術の情報で目にしたはたきにピンときて、取り入れてみたのです。
購入したはたきは出しっぱなしにしておいてもインテリアの一部になるようなものを選びました。いつでもササッと使えるように。
そしてこのはたきで家じゅうのほこりを掃っていったのです。そうしたら、ものすごく気分がよくなりました。
どんなに家の中を片づけても、お気に入りの家具を並べても、わたしは内心気づいていたのです。
あそこにホコリが溜まっていることを。
家の中に、あまり触りたくない場所があることを。
テーブルの上などの広い面は日頃から拭き掃除をしています。でも、もっと細かい場所。カーテンレールの上とか本棚とか。
そういった場所は気軽に手を出せないでいました。「大掃除をやるぞ!」くらいの気合がないと···。
でも、はたきが我が家に来てくれたおかげでそういった場所も日常でササッと掃えるようになりました。
ここで言いたいのは『はたきを使ったお掃除術』ではなく。
本当の心地よさは目立たないものの中にあるということです。
わたしがホコリを掃っただけで、我が家に心地よさを感じたように。
我が家に来たお客さんは「モノも少なく、片付いていてスッキリとした部屋だね」と言ってくれます。お客さんは細かいところのホコリまでは見ていないのです。わたしがはたきでホコリの掃除までしてもしなくても、他人の我が家に対する評価は変わらないのです。
でも、あきらかにわたしの中では感じ方に変化が起こりました。
「この部屋は心地いい」と。
自分にしかわからない満足感です。
「収納術を学んだり、見栄えのいい家具を買うよりも、まずは掃除をしろ」
そういうことか···。
思えば、今までわたしはいろんな物事の順番を間違えていたようです。自分自身を好きになれないのに、コミュニケーション術なんかを学んで人に好かれようとしたり。
そういった表面的なものは後からでいいのです。まずは自分を満足させ、気分よく暮らせる術を身につけるべきだったのです。
「コミュニケーションがうまくなり、他人とうまく関われるようになれば自分に自信が持てるだろう。自分を好きになれるだろう。」では、順番が逆なのです。
まずは自分が自分に満足感を感じられるようになり、それから「わたしはまわりの人に何をしてあげられるだろう」「世界がよい場所になるために、わたしは何ができるだろう」と外に目を向けるべきです。
自分を幸せにできない人が、他人を幸せにできるはずがないのですから。
『自己満足』をいう言葉はよい意味で使われないことが多いです。「独りよがり」のような。でも、自分を満足させる術は必要なものです。
そして、この術を持っていない人が多いようにも感じます。
自分自身を満たしていないのに、「わたしは社会に何を提供できるのだろう」と、そちらばかりを考えている人が。
わたしも、最近までその罠にはまっていました。
自分だけの喜びでも、独りよがりでも、まずはわたしを満たしてくれるものを優先していきたいものです。
冒頭の話に戻り、“はたき”でホコリを掃う行為ですが。この『はらう』という行為にはなんだか目に見えない力を感じます。
わたしは神社が好きなのですが、神事として『お祓い』があります。これは罪や穢れ、災厄を取り除くために行うもの。もしかしたら、家のなかで行う『はらい』にもちょっとした神の力があるのかもしれません。
そもそも仏教にしても神道にしても、“掃除”は大切な行為です。この気づきをきっかけに、これからはもっと掃除を大切にしていこうと思います。
ちょうど、年末ですし。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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