歓喜の瞬間など、なくても大丈夫。
あっという間に12月。
「あと1か月で今年も終わりだね」
会う人会う人と、そんな言葉を交わしています。
昔は「毎年同じこと言って、何の意味があるんだろうか」とひねくれていた時期もありました。
それが「特に意味のない会話だとしても、季節を人と共有するのもいいものだ」と。
やっと最近、そう想えるようになってきました。
これが、こころの余裕というものなのかもしれない。
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SNSなんかをみていると、「あなたは今年、どんな1年でしたか?」「来年はどんな風に過ごしたいですか?」なんて問いかけが多くなってきました。
問いかけられるとついつい考えてしまいます。
「わたしの1年はどうだったかな?」と。
・・・
振り返ると、7月くらいまではうまくいかないことばかりで、ぐったりしていたような。それが、夏あたりからいろんなことの歯車がかみ合いだし、今は穏やかな日々を楽しんでいる。
どうやら、とっても嫌なことと、とっても嬉しい事が共存した1年だったようです。
『運』に関する情報発信をみていると、どうやら幸運期の前には、ズドーンと落ち込む時期が来るらしいですね。
落ち込むことが多いわたしにとっては、「いつになったら幸運気が来るんだ(怒)」となかば諦めていた時期もあったけど、やっとわたしにもその時がやってきたのかもしれない。あぁ、長かった・・・。
人生初めてかもしれない幸運期に入った今、気づいたこと。
それは「幸せって、この程度でいいんだ」ということ。
低迷期にいる頃は、「どうにかして歓喜の瞬間を味わいたい」と願っていました。
でも、それは勘違い。
日常的に「ちょっといい気分」で十分なんだと。
10年くらい前からでしょうか?「一般人のSNSが人気になって、本をだした」とか、「わたしはこの方法で年収1億円になりました」とか、そんな情報が飛び交うようになったのは。
そして、「あなたもできますよ」と。
もちろん、希望をもつのはいいことです。でも、そのポジションを獲得しなくても、幸福感は感じられるんですよね。低迷期にいるときはそれがわからなかったんです。
「今の生活が変われば・・・」
そればかりを狙っていたのです。
歓喜の瞬間などなくても、幸せは感じられる。
それがわかったことが、わたしの今年1番の収穫だったかもしれません。
ステキな一日を★