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ひさしぶりの一人暮らしと自分を取り戻す儀式


不規則勤務の日常が戻ってきた。
先月までの2か月間、夜勤だけの生活を送っていた。夜中仕事のためずっと起きているのはしんどいこともあるけれど、朝早く起きなくていいのは救いだ。

それが日勤と夜勤が不定期にあると体調管理は少し難易度が上がる。


朝は早かったら6時前に起きて、体と頭を思う存分動かして19時ごろ帰宅。疲労困憊の体にエネルギーを流し込むようにごはんを食べて、お風呂に入る元気もないまま床に倒れ込む。

いつもなら「そこで寝ないでお風呂に入りな」と言ってくれる彼がいるのだが今日はいない。勤務終わりは自分を律して”ごはんを食べてお風呂に入って布団で寝る”ということがどうしてもできない私は彼がいないことをいいことに、リビングの床に横たわり次に目を覚ましたときは、きちんとお風呂に入って髪の毛を乾かしていたら布団で寝れる時間になっていた。

「はあ〜〜〜なんでいつもこうなんだ……」と後悔の念を抱きながら慌ててお風呂のお湯を溜める。

休みの日も予定があったりで、私にとって十分に休んでいる感覚はなく1週間が過ぎた。この期間、彼が家を空けた。二人で暮らし始めて今までなかったことで久しぶりの一人暮らしにそわそわした。自分のために時間を使うぞ〜〜と心を高ぶらせていたが、そんな余裕はない。

毎日のように先述したような生活で、とりあえず起きて仕事に行って寝る。ごはんは彼が作り置いてくれたものを食べる。洗い物もお風呂も歯磨きもまともにできない日もあって、人間としてどうなんだ…と何度思ったことか。


一緒に暮らしている人がいると、やはり目が気になる。いくら気を許しているパートナーであっても「これはアウトだろう」というラインを越えないようには努力している(気持ちは)。
だけど100%誰にも見られることのない状況だとだいぶんと生活は乱れるらしい。一人暮らしをしていたときは自分で自分のリズムを守っていたはずなのに、誰かと暮らすことが当たり前となった今は心のどこかで頼っていたようだ。


ようやく私に何もしない休日が訪れた。
ひさしぶりのひとりで過ごす日。まず、前日の乱れた部屋を整えるところから始めた。脱ぎっぱなしの服、食べっぱなしの食器、それらを綺麗に洗ってあるべき場所に戻す。
そして、からからになっていた植物にもう十分だと言われそうなくらいたっぷり水をあげる。ここ数日の心の動きをノートに書き留める。

それだけで「生きてる」って感じがした。

仕事終わりの何もできないときも間違いなく生きている。
だけどそれは生きるために、明日を迎えるために、最低限のことしかできない。食べることと寝ること、それ以外は私の疲れている頭と体では受け入れられない。
そんな抜け殻のような姿は自分というものをどこかに置いてきたような心地がする。

それが、出したものを片付けるという当たり前のことから、大事な植物にお世話をするという自分以外のものをケアするということを行うことによって「私は生きてていいんだな」と思う。
自分の心の動きを振り返って「この感情は大切にしよう」と日々を抱きしめている。

そうやって抜け殻からいつもの自分を取り戻すことが私にとって必要らしい。


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陽|haru
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