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私が文章を書き続ける理由


どうしたら理想の未来がつくれるのだろう。
どうしたら自分が表現したいものをつくれるのだろう。

最近の私の悩みでもあり、願っているものでもある。



少し前、また言語化に苦戦していた。そういうとき、文章を書くときに思った通りの適切な表現が自分の中に見つからなくて苦しい。どれだけ頭をひっかき回しても「これ!」といった言葉が見つからない。そんなとき呼吸が速くなり、文字通り頭が爆発しそうだ。
その原因は言葉の引き出しがないからか、思考の過程を楽しむ余裕がないからか。

そのときの私はその両方だった。
言葉の引き出しは乏しく、ほんの少しのエッセンスから「書きたい書きたい」が空回りしてアイデアも広げられない。そういうときはAI技術を駆使しても、いい文章は書けない。
悩んでいるポイントをざっくり投げると、AIは上手に気の利いた文章を書いてくれる。でもその文章は私の手から離れたようで、私が書く微妙なニュアンスを表現しきれていない。少しおおげさすぎたり、文学的すぎたり、さじ加減が難しい。そういう文章ほど、読者の反応は芳しくないことも多い。

私が考えた文章じゃないから、当たり前かもしれない。
意外と読者は敏感に感じ取っている。


少しその行き詰まったところから、少し道が拓けた。
小さな自分の感情や気付きに向き合う時間をつくり、思考を深める。
あれほど自分と向き合って言葉を生み出すことは苦しかったのに、細切れで出来事の深堀りをすることはそこまで苦じゃない。自分と対話している時間は豊かで、頭の引き出しを少し増やしてくれる。


・・・

ときどき考える。
言葉を、文章を、生業にしている人たちはどうしているのだろう。湧き上がる感情を言葉にするだけでなく、ある物事の興味を引き付けなければならない。その先には「商品を買ってもらう」かもしれないし、「ブランドイメージを構築する」かもしれないし、何かしらの目的がある。
時には自分の感情を無視して、クライアントの望むものを書かないといけないかもしれない。

「何を、どう言うか」を大切にしたい私にとっては、少々辛い仕事だなと思う。私はマイペースに自分の好きなことを書いている。書きたいことがあれば書いたらいいし、書きたくなければ書かなくていい。
たぶん、私は一生かけても文章だけを仕事にはできないなと思う。それくらい、言葉と文章を仕事にしている人を尊敬している。


それなのに、なんでこんなにも文章を書いているのだろう。
仕事でもなく、趣味で、ときには苦しんでまで、なんで言葉を紡ぎたいと思うんだろう。


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