グアテマラの秘境アティトラン湖でエクスタティックダンスに参加したよ
グアテマラはアティトラン湖へ3泊4日でいった
アティトラン湖は山に囲まれた湖で、湖を囲む村は先住民族と世界中から訪れるヒッピーたちとの共存した湖となっている。(エクスタティックダンスの帰りの乗合バスに原住民から石を投げ込まれたりしたので、先住民族とヒッピーの中での微妙な争いもあるのかもしれない)
アティトラン湖へはシエラの街から直行バスで2時間程度。グアテマラならではの凸凹道を走る。
グアテマラでは雨季には土砂崩れが良く起こるそうで、確かに道路のすぐ横の斜面は石を取るためか大きく削り取られている場所が多く存在した。地盤を固めていた石や岩を切り出すので土砂崩れが起こるのは当然であるが、それを取り締まるための警察の機能は特にない。冒頭に述べたバスへの石投げで石が頭に直撃した欧米人女性がいたが、警察を呼び、その家に突入する、なんてことはなく、頭を抑え、「グアテマラが怖い」と肩を落として帰っていった。少なくともこの原住民とヒッピーが共存(対峙?)しながら暮らしていくには警察は頼りにならないので自分の身は自分で守るしかない。(むしろ警察は何かといちゃもんをつけて賄賂を要求したりすることもあるので、頼れる人はいないと考える方が正しいかもしれない。)
言語、コミュニケーション、身体能力含め自分の力量によって自分を守るしかない。当然お金をかければ自身の安全を守ることが可能であろうが、私はこの旅においてそこまでの贅沢はできない。夜遊びにクラブなどのイベントに行けば、途中でタクシーに乗って安全に帰る選択肢はなく、できる限り人通りの多い道路でなるべく人目につかないように道路の脇を早歩きで帰るか、朝日が昇るまでパーティ会場で踊り散らかし、太陽とともに帰宅(帰ホテル)するかである。
おそらく、私と同じように遊んでいるのは欧米人のパーティ狂いか現地の遊び人くらいでアジア人旅行者ではほとんどがそのパーティ会場にすら、「治安が〜」等の理由で辿り着いていないだろう。実際にアジア人に会ったことがない。
そんなことを考えているが、今この文字を書き始める30分前にボート乗り場の段差に気がつかず右足を思いっきり挫いてしまった。街歩きをするにもビッコを引いて歩いているので、自分の身を守れるポイントがガクッと下がってしまっている。なので夜に出歩くことも特にせずこの文章を書いている。この文章は「足が痛くて歩きたくないからこそ生まれた文章」だと言って良いだろう。
話を戻す。
アティトラン湖はヒッピーが多く集まるエリアとなっていて、ヒッピーコミュニティが存在する。例えばヨガクラスやメディテーションセラピー、ハンドクラフト教室やタロットカード、今回参加したエクスタティックダンスなどがあり、旅をしながら暮らすヒッピーが身一つでお金を作り易いようになっている。今回訪れたサンペドロ、パナハッチェル、サンマルコス、ツヌナでそのどこの町にも掲示板があり、上記に述べた各種イベントのインフォメーションが行われている。
今の時代デジタルはもちろんある。その町の掲示板にもネットのQRコードが存在し、読み込みさえすれば簡単にネットで見れる。
旅をすることでわかったことだが、現地のことは現地に行かなければ触れることはできないし、現地を知るということは現地の人間の生活に触れることでしかわからないということである。
私の大好きなツイッターで見かけた言葉だが「『知っている/分かっている』という状態にはレベルの違いがある。「知っている」は離散的な知識として知っている。「分かっている」は知識同士が結び合うネットワークに落とし込めること、言い換えられることだ。」
実際にネットの情報のみで知った気分になることは私にもあるが、それは分かっている状態ではない。
現地の生活に入り込み、現地の生活の当たり前を知っていく。そこには良いも悪いもなく、ただその場所での生き方が存在するだけだ、
先に述べておくが日本の常識は世界では通用しない。蛇口をひねってお湯が出てコンビニに行けば200円でおにぎりと飲み物が買えるのは日本だけであろう。マヤ文明のセレモニーでは私でさえ咳き込む極太葉巻を少年たちがスパスパとふかしていたし、まちのそこらじゅうにゴミが散乱しているが町の清掃などはなかなか行われないため昨日あった道端のゴミは今日も明日も残り続ける。たくさんいる野良犬のフンもその限りではない。私は2、3回踏んだ。今履いている靴の裏を近日中に除くことはしないだろう。
今回のアティトラン湖での数日間はスペイン語留学をしていたシエラ(ケツアルテナンゴ)で出会ったグアテマラ人のレナータという女の子と一緒にきた。彼女は心理学を学んでおり、日本のアニメが好きで英語を話せる根っからのラティーナである。これはメキシコとグアテマラで約2ヶ月過ごした感覚だが、中米で英語のコミュニケーションが取れる人は全体の1、2割(メキシコの方が若干多い)だと思う。その中で日本語を話せる人が数えれる程度いる。そのほとんどがアニメが好きないわゆるオタクであり、そういった人たちは日本の文化的なところにも興味を持っている人が多い。見方を変えると中米からは遥か遠くの東アジアの島国の文化に興味を持ち、合掌して挨拶をしてくる人は決まって教養が高く、現地の中ではいわゆる富裕層に分類される人たちなのだと思う。
私は日本人だ、と伝えると目を輝かせて自分がいかに日本の文化が好きでどんな日本語を知っているのかを伝えてくる。「君と出会ったことで私の人生は変わった。君は僕の人生に入り込んだんだ」とまで言ってくれたアミーゴもいる。旅をしているとさまざまな体験があるが、私は日本人でよかったなと思う場面が多い。日本にいるとどうしても外国人と一緒になりたい女子がいるがその逆パターンが存在しているように思う。
アティトランへはシエラからバスで2時間程度。グアテマラの大切な交通手段であるチキンバスだ。
道はでっこぼこのためあまり寝ることはできない。土砂崩れがよく起こるがその都度その土砂を避けるように道路を作るのだそう。綺麗な道でさえ、日本の凝り固まった常識なのかもしれない。
アティトランこには10ほどの町が点在しており、その行き来はタクシー、トゥクトゥク、ボートがあり、ボートが最も安くて早い。船には全部で6回ほど乗ったが操縦技術は手際良く高度なものだった。メキシコのタコス屋でも感じたが、だてに多くの時間を費やしていないことがわかる。彼ら彼女らは明らかにプロフェッショナルである。(日本人で注意しなければならないのはいくらプロでもぼったくりやバスの行き先間違いを平気でしてくるところは自身も旅の経験値を上げることでプロに近づくしかない。何度もいうが日本の常識は世界では通用しない。)
アティトラン湖にある町の4つ、サンペドロラグーナ、サンマルコスラグーナ、パナハッチェル、ツヌナに訪れた。
シエラからむかったバスはサンペドロに到着し、まずはチェックイン。ホテルPENELEUだ。
景色がとても良く、静かな湖面を割くようにボートが通っていく様子が見える。控えめに言って最高だ。
サンペドロにはローカルなメルカドがありクリスマスに向けたイベントで数百人が集まっている様子も見れた。またシエラにもあった古着屋や商店、ヒッピーたちがつくるハンドメイドのアクセサリー、特に気になったのはフライドチキンのお店である。ガラスケースに積まれたフライドチキンとポテト。この店が非常に多い。日本で言うおにぎりやラーメン、メキシコで言うところのタコスといった小腹を満たしてくれる大事な食べ物だ。美味しい。メキシコでは#毎日タコス健康生活 を行っていたが、グアテマラでは#毎日フライドチキン不健康生活 となった。
また、サンマルコスは特に世界中からヒッピーが多く訪れ滞在し、コミュニティを作っているので欧米人むけのビーガンカフェやスムージー、オーガニックの何がしがある。居心地がずっと良いのでヒッピーたちが住むようになるのも理解できる。私としてはメキシコのヒッピータウンであるサンクリストバルよりも居心地の良さを感じた。
パナハッチェルは観光地化された第一の町らしく民族衣装の店が所狭しと並んでおり、値段も他のエリアよりも高い。
ツヌナでは5日間のエクスタティックダンスのフェスが開催されていた。4日目に参加してきたのでエクスタティックダンスとは何かからどう感じたのかまでを記載していきた。
まず特筆すべきは、ガイアダンステンプルで行われているこの5日間のフェスでアルコールの販売をしていない。200〜300人ほどいる欧米人が酒を一口も飲んでいない。アメリカメキシコグアテマラと旅をしてきたが、この人数の人が集まっているのに酒を飲んでいないのは異様な空間だと言える。野外での飲酒が禁止されているアメリカやメキシコでさえ、誰かしらは酒を飲んでいる。ヒッピーコミュニティすごい。ダンステンプルと名乗るだけあって、寺としての自負があるのかもしれない。
手作りのクッキーやブラウニー、ビーガンピザ、スムージーなどの販売があり、焚き火があり、大きなダンスフロアがある。かなり開かれた空間となっていて、昼間はさらに気持ちがよさそうであった。
ダンスフロアでは会話禁止、靴禁止、ボディタッチ禁止、携帯禁止である。そう、これはフェスティバルであってもパーティではなく、一種のセレモニーだ。DJ、演奏家の選曲によってヒーリングミュージックからオーガニックハウスなどの音楽が流れ、その音に合わせて身体を目一杯使って己の中の野生がそのまま出ているような人もいれば、フロアの脇には瞑想を続ける人、奇妙な体の使い方でフロアを縦横無尽に動き回る人、ずっと回転し続ける人など自由だった。
私も裸足になり、音に合わせて踊る。どんな動きをしてもどんなダンスでも、それがダンスでなかったとしても問題ない。ここでは全てが受け入れられる。そんな感覚だった。踊りながら目をゆっくり閉じたり、開いたりしていると、瞑想に近い感覚になっていく。
個人個人の動きは全く別のものであるが、音に合わせて体を揺らしていると、フロア全体の一体感のようなものを感じる、ワンネス(スピリチュアル用語のためウィキ)に近い状態だと思う。
大阿闍梨になるための修行である千日回峰行やヨガや瞑想で無の境地に辿り着いたり、ランナーズハイといった状態に近いものが得られるのかもしれない。アルコールやドラッグはもちろん禁止だが、海外あるあるのマリファナやマジックマッシュルームはナチュラルと考えられ、接種している人もいそうだ、(マリファナの匂いはそこらじゅうでしていたし、私も吸っていた)
DJno流す音楽は瞑想の時に聴くようなヒーリングミュージックからオーガニックな楽器の音楽が多い。ここでもナチュラルなイメージが湧いてくる。ヒッピーは自然との共存を主としているのが手に取るようにわかる。食べ物、着るもの、聴くもの等全てがナチュラルで自然なもの‘だ。実際私は日本で購入したTシャウを着ていたが、他の参加者で何かのブランドロゴが入った洋服を着ている人はほぼ皆無出会った。民族衣装を着ている人やヒッピー感のあるハンドメイドな服を着ていた。ヒッピーカルチャーの奥は深い。
とはいえ私もヒッピーについての定義は詳しく知らないが、日本で暮らしている時からヒッピーっぽい人は私の周りにたくさんいた。むしろ私もその一人だと思っている。大学生まで実家で暮らし、新社会人になり栃木県宇都宮でシェアハウスに住んだ。2年目に東京に転勤することになり、彼女の家に転がり込んだ。家を探すまでの間と言っていたが2年ほど住んで、彼女の契約更新のタイミングで一旦離れて暮らすことになり、美容師の章くんの家にお世話になる。1Rに男2人は無理があると、1週間くらいで輝真氏の家に移り住む。これまた次の家を探すまでという約束だったが、立地、環境、刺激の何もかもが充実していて最高だったのであっという間に2年が過ぎた、照魔氏とはこの度のアメリカ編でもとてもお世話になったし、そもそも私を旅に連れ出した張本人である。
生まれてこの方自身で契約を行った家は一つもなく、そもそも家というものに必要性を感じていない。
血液型占いや星座占いか何かで私は「モンゴルの遊牧民タイプ」だという結果が出たことがあった。何お占いだったかは覚えていないが、まさに自分のことだなぁと思っていた。
それが‘このアティトラン湖にきて、自分はヒッピーなのではないかという思いが沸々と湧いてきている。
自然が好きで、ヨガやファスティングをたまにして、スピリチュアルが好きで、パーティが好きで、、、
ここに住むヒッピーたちと完全に一致している、。。何より居心地がいい、、、
身一つで稼げるようになれば、これで生活が簡潔するな とまで考えたり考えてなかったりしている。
このことについては3月の帰国時に改めて日本での生活をしてみて、改めて考える必要がある。
話が脱線してしまった、
エクスタティックダンスである。踊ることに疲れたら、焚き火を見つめてユーったりとすることができる。ダンスフロアでは話すことができないので、みんな話が止まっていない、と思ったらニコニコしながら焚き火を眺める人や瞑想している人がいる。裸足で踊っているため足先を温める人が多い。一緒にきたレナータはまだ踊っている。彼女は生粋のグアテマラ人でありヒッピーではない。レゲトンが好きでペレオ(日本でいうワイニー)を良く踊る。良くグアテマラで出会って、近いとはいえ一緒に来てくれたなと改めて感謝の気持ちが湧いてくる。人生は不思議なことの連続だ、
メキシコにいた時、次の国はコロンビアだー!と粋よいよく航空券を取ったものの、クレジットカードの兼ね合いで翌日キャンセルされたとメールが来ていて、何度か試したもののダメで仕方がなくグアテマラにきた、(とはいえこれも何かの縁があるだろうなとはこの時点で少し感じていた。)
タカハウスという日本人宿兼スペイン語学校があることは知っていたので何となくそこに決めた。あまり面白いパーティなどもあるとは思えなかったので、むしろスペイン語の勉強に集中できると考えていた。180度ひっくり返されたとはこのことだと思う。
スペイン植民地時代の古い街並みの中、重厚感のある建物の中にはいくつものお店が入っていてその建物の造り自体が迷路のようで面白く、そのルーフトップにはテクノミュージックがかかるクラブもあったし、もちろんレゲトンでみんな踊りまくり、大合唱が起こるクラブもあるし、ローカルバンドが集うライブハウスもあった。スペイン語の先生はグアテマラの歴史にも詳しく、メキシコのアステカ文明、ペルーのイン火文明の元となるマヤ文明が生まれたのはグアテマラ何だと教えてもらったら、そのマヤのセレモニーに遭遇し参加させてもらったし、誘われたのでヨガクラスに行ってみるとイエスキリストみたいな先生(超人)に「またきなさい。君は空手で言う黒帯になれる。限界を決めているのは自分だ。リミットに挑戦できる」と熱烈なアプローチを受けたり、その教室があるシェアハウス「ヨガハウス」にはアメリカ、フランス、スペイン、オーストリア、メキシコなどから集まった人がいて一緒に夕食を食べたり、飲み屋で出会ったバリスタアミーゴに「これが地元のビールだ」と奢ってもらったり、その店にコーヒー飲みに行ったらお土産でグアテマラ産ののコーヒー豆もらったり、こうしてアティトラン湖に一緒に行くような出会いもあったり、本当に最高の思い出となった。
改めて自分は事前に計画や準備をして旅をするタイプじゃないと確信した。
なりゆきや出会いにまかせて‘、「これは何かのご縁かも」とその前兆を頼りに進んでいく。
ご縁ができたら、自分でさらにそのご縁をすすめていく、
まだまだ旅を続けたいと思う。
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