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#46 5000兆円欲しいって、本当に毎日言ってる


このところ、木曜日と金曜日は毎週ぐったり疲れている。仕事のスケジュールは変わっていないのでずっと前から毎週木金は疲れていたはずなのだけど、疲れていると明るい話題が出て来にくくなるので、noteを書くようになって自覚した。noteの効用ってすごい。いや、自覚できなさすぎなのでは。


6月の始めにも書いた(『4月よりも5月よりも、6月の方が厳しい』)けど、今月は本気でやりくりがしんどい。きのう、クレジットカードの支払いのために引き落とし口座に移動したら、プール金がそれはもう見事にすっからかんになった。気にしないようにしよう、今だけだ、何とかなる何とかなる・・・と平静を保って我が家に帰ったら、先月の終わりに引き落とせていなかった何かの料金をここに振り込めというハガキが届いていた。残念ながら、わずかに金額が足りなかったらしい。

ちょっと待ってよ、今月まだ折り返して少ししか経ってないよ。あと半月やりくりしなきゃいけない上に、もう補填する余分もないんだけども。いや、今だけだ、何とかなる。お給料日がここまで切実に待ち遠しいなんて、毎月金欠の新入社員に戻ったみたいだ。


毎朝毎朝、夫婦してくたくたに疲れているので、私は毎回しょうもない話やくだらない小芝居を夫にふっかけて、強引に笑いをもぎとってから勢いで出勤している。「会社に行きたくない」「仕事したくない」「5000兆円欲しい!!」と笑い合って、それじゃお先ねと家を出る。喧嘩したりとか、静かに怒っている時は、このやりとりもなかったりするのだけど。

仕事、したくないなあ。寝てるだけで5000兆円降って来ないかな。5000兆円欲しいなんて、もう誰も言わないんだろうか。私はいつでもほしいぞ。何だったら2020年もたぶんずっと5000兆円欲しいって、まじで口にしているぞ。お外ではいろいろ危な過ぎるから、おうちの中でだけね。

この「5000兆円」という響きは、本当に優秀だ。100万円に比べると夢がある。わけじゃなくて、あきらかに冗談を言っているとすぐにわかる。

普通の人なら絶対に手にすることがないであろう金額。かといって、京とか恒河沙とか小学生男子のノリみたいなやつじゃなくて、お金の単位として馴染みがある”兆円”でとどまることで「なんかよくわかんないけど国を回せるレベルの大金」というのが一瞬でイメージできる。京円よりも兆円のほうが、人間の欲望に近くてむずむずする。


そんなことを書いていたら今日も1時間が過ぎていた。ほんと、なんの話だ。我が家の経済状況をこんな事細かに書く必要があったのか。大丈夫です、生きてますよ。お財布は死んでるけど健康なので、我が家はまだ大丈夫です。
お金の話をしているときがいちばんしんどいよねという話をつい先日友人ともしていたのだけど、本当にその通りなので、「お金がない」と「5000兆円欲しい」の間でジェットコースターのように精神をぶんぶん揺らしてなんとか平静を保っているような気がする。5000兆円欲しい。今朝も私は駄々をこねて、笑って仕事に向かうに違いない。

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