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愛される街とは

最近、街づくりについて考える機会がありました。

40年~50年前に造成された新興住宅街の自治会長さんとお話しした時でした。

例にもれず、高齢化が進み空き家が増えているといいます。

どうしたら魅力のある街になるのか?を聞かれて、明確にお答えすることができませんでした。

そんなことでは「ぐるり」の理念にそぐわない!と思ったことがきっかけです。

昨今の新興住宅街の変化
今だに新たな新興住宅地が増え続け、昨今はそのスピード早まっていると聞きます。
参照↓

「住宅過剰社会」ニッポンの未来はどっちだ!?
『老いる家 崩れる街-住宅過剰社会の末路』(講談社現代新書)

コロナの影響もあり、新築着工件数が増えているらしいです。

コロナバブルといえるかもしれません。

テレワークが可能になった結果、郊外の落ち着いた土地で家族と過ごす時間を持つことを選びやすくなったのが要因だと思います。

では、なぜ、現に存在する新興住宅街に人は住まなくなるのかを考えてみました。

なぜ、愛着が持てないのか?
1.変化がない
古ぼけた街のイメージに魅力を感じないのかもしれません。

管理されていない街路や戸建てが目立ってくると、町の印象が悪くなります。

街にも多少の新陳代謝は必要だと感じています。

2.住民同士のライバル心がある
昔友人に、聞いたことがあります。

近くの新興住宅街に母親が一人暮らししていると聞いて「近くに住んでいるのになぜ実家で同居しないのか」と

すると「あそこは近所の人と比較されるからイヤ」との答えでした。

また最近ですが、「ああいう町(造成された新興住宅街)に住むと、捨てるごみにも気を遣うようになる」とか。そのような場で暮らしたことのない私には共感しがたいのですが、小説やドラマなどでも描かれていることが多いこともあるので、実際そうなのかもしれません。。感受性の違いもあるかもしれませんが、そういった要素がはらんでいるのは事実なのでしょう。

最初に土地を買う段階で、敷地や建物の価格がわかってしまうのもヒエラルキー形成の要因になるのかもしれませんね。

3.住宅は密集しているがコミュニケーションは不足しているので落ち着かない
これも私の勝手な想像です。仲良くできていない人と住宅が密集していれば、ちょっと落ち着かないだろうなぁ~と。何度も言います。あくまで私の想像です。

4.住宅ばかりで変わりばえしない風景は、楽しくない
私は新興住宅街でよく道に迷います(笑)。何度行っても迷います。

きちんとブロックを数えたりしない私が悪いのは明らかです。が、しかし、街並みに特徴がないことも問題なのではないでしょうか。どこに行っても同じような家が並んでいて、うっかり曲がり角を間違えてしまいます。

車での走行や道行く人にも変化があると楽しくわかりやすいのに、とついつい街のせいにしています(笑)

5.「見守る」と「監視」のハザマから、クレーム・犯罪に発展も
自己防衛?地域防衛のための目配りが、人によっては窮屈に感じてしまうのかもしれません。最近話題の、「自粛警察」とまでは言いませんが、厳しすぎるのは自分をも苦しめてしまいます。見守る人の目つきや心配り、人それぞれの違いをお互いが享受できるコミュニティーが必要で、その仕組みやモラルも考えるべきなのだと感じる今日この頃です。

6.イメージが悪い(暗い、危険)
どっちが先かの話になるのかもしれませんが、廃退してきた町はイメージが悪いだけではなく治安も悪くなります。結果、知らず知らずのうちに潜在意識で身の危険を感じる場所となり寄り付きがたくい雰囲気が漂ってきてしまう気がします。

7.規制が厳しい
住宅街であることを第一にするため厳しい取り決めがある場合が多いです。このことが足枷になって発展しない場合が往々にしてあります。品のある住宅街を目指していながら、結果、住宅だけがギュウギュウに詰まってしまっている。ちょっと立ち止まって、品のある明るい街をイメージして必要な規則を考え直してもいいのかもしれません。

8.歴史や文化を大切にせず特徴もなく、街に誇りが持てない
この影響は、特に大きいと個人的には思っています。

住宅ありきでガンガン造成した結果、特徴のないどこにでもあるような街になっています。

経済優先で最小限の児童公園がポツネンとあるだけの街も多く見られます。

少し想像してください。

そんな街に暮らす両親の家に子供たちを連れて里帰りしたとして、子供たちはその町に魅力を感じるのでしょうか?

逆にしてみたら魅力のある町に?
1.変化がない→→簡単に完成せずに変化し続ける
新興住宅街はすでに完結してしまっているように感じます。変化する余地がない、そんなイメージがあるのです。

面倒でも街のみんなで手を入れ作り上げ管理しなければいけないよちを残すことがコミュニティーにとっても重要ではないでしょうか?

2.住民同士のライバル心がある→→
        いろんな人がいることを当たり前に
新興住宅街に住まう人は、だいたい似たような所得の人たちです。それがライバル心につながり表面だけのお付き合いになってしまいがちなのではないか?(あくまでここは住んだことがないので想像ですが)価値観や経済性、考え方や暮らし方なども、もっといろんな人がいて当たり前の街になれば、ライバル心もなくなり心も安らぐのかもしれません。どんなゴミでも堂々と捨てることができるのかもしれません。

3.住宅は密集しているがコミュニケーションは不足しているので落ち着かない
        →→→落ち着く場所がる(自然が豊か)
お隣の音や視線にも寛容でいられる街でありたい。

自宅以外でも、景色のいい場所、そこに植物があるとなおいいです。

これらは、町にとっては無駄かもしれませんが、豊かな空間だったり景色も必要だと感じています。

4.住宅ばかりで変わりばえしない風景は、楽しくない
        →→→家族団らんができる、積極的に参加したい催しものがあるなど、地域で楽しむことができる
住宅ばかりでは面白くないのです。(道に迷うし(笑))駄菓子屋さんがあったり理髪店があったり(我ながら昭和な感覚ですが)

家族で安心して行ける居酒屋、

隠れ家的なイタリアンレストラン。水辺に面していたりするとなおいいですね。

催し物として、日曜日の朝だけ開かれるマルシェ。

夕涼みができる週末だけのおしゃれな屋台。

公園でのビアガーデン。

なんだか飲食ばかりだけど(笑)

そんな街だと、外から訪れる人も増えて私にとって楽しいのに(笑)

きっと街も活気づき、住みたい人も増えるのではないでしょうか。

もし子供たちが遊ぶなら秘密基地になりそうな場所があったりするほうが楽しんでもらえるかも。

(今は外で遊ばないのかなぁ~)

5.「見守る」と「監視」のハザマから、クレーム・犯罪に発展も→→開放性のあるコミュニティー
人は皆自分は間違っていないと思っています。殺人犯でも、自分は正しい!と主張すると聞きます。

そう、みんな正しいのかもしれません。

でも、100%間違っていない人などいないことはみんな知っています。

自分以外の人には正しくジャッジできるのに自分は100%と感じてしまうのです。あるお坊さんが、「私は間違っていない」と思ってしまったら、もうすでに間違っている。というようなことを言っていました。「確かに!」私にも思い当たる節があります。ついつい自分の心の中で「間違ってないもん」と思ってしまうことが多かったのです。おおいに納得してしまい、それからは自戒しています(笑)。

そんな視点を持てることが重要で、罰するのが目的になるものの見方をしないよう、支えあえるコミュニティーを、作らなければいけないと感じています。またコミュニティーについて皆で考える場所や仕組みを、時間も用意する必要があるかもしれません。

6.イメージが悪い(暗い、危険)→→→明るい、温かみがる、清潔・安全なイメージを
街を明るく清潔にすると犯罪が減るのは知られているところです。

では、どうすればそうなるのか、やはり住民の意識に働きかけることも必要なのかもしれません。前述同様、コミュニティーのあり方が問われているのだと感じます。

7.規制が厳しい →→→時には規制緩和も
安全で品のある明るい街をイメージして必要な規則を考え直してもいいのかもしれません。

私が楽しい街にするためにも(笑)

8.歴史や文化を大切にせず特徴もなく、街に誇りが持てない→→→歴史や文化に根付いて誇りが持てる
少し行けば自然があったり、語り継がれる物語のある建物や敷地があり、地域でその文化を大切に守ることで特別な場所になると感じています。

愛される街とは
素敵な街には、住民に愛される緑豊かな公園があります。

ニューヨークもしかり。

ニューヨークのハイライン

すでに田舎だから、公園を用意するまでもないと思いがちです。

でも、街は緑で魅力がアップします。

これは、人間の本能なのではないかと思っています。

北欧では森が身近にあり悩みがあるときは「森に行こう!」といわれるほどです。

ストレス軽減の対策に植物、木、森などが有効なのは医学的にも知られているところです。

2017年のデータですが

全国21都市「市民の地元愛」ランキング

福岡が1位

2位は札幌

二つの都市とも、車で20分も行けば緑豊かな場所があります。

緑豊かな公園があります。

また、センスがいいことも大切なようです。

「美」も大切にしなければいけない要素ですね。

住宅過剰の日本
冒頭でも紹介しました本にもありますが、2019年を境に日本の住宅は世帯数より多くなったようです。

それでも今も新しく新興住宅街が造成されています。その様子を筆者は焼き畑農業に例えています。

もう誰のせいでもないのかもしれません。人々にニーズがある限り止められないのです。

先日、市役所の空き家バンクを訪れてみました。

こんなに空き家があるのに、登録する空き家は少ないらしいです。

権利の問題。親族が集まる場として保存したい。など、理由は様々にあるとのことでした。

手放したくないけど活用の方法が見つからないという方が多いのかもしれません。

逆に、空き家をを求める人は多いのだとも聞きました。

建物も体も健全なうちに「すまいの終活」を話し合わうことがたいせつであり、そのことを皆が認識しなければこれから先、日本のあちこちでゴーストタウン化が進んでいくことでしょう。

その認識を共有し、今から街を変えて「未来の愛される街」を作ることが大切なのです。


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