
坂本龍一展の話
音を観る 時を聴く
普段目を使うことを生業としている私は、
ずっと 見えるもの > 聞こえるもの として生きてきた。
視覚と聴覚どちらかを差し出さなければならないとしたら?の問いに秒で「どうぞ聴覚を!」と言う気満々でいたけど、今回の展示を観て少し怯んだ。

音によって見えるものも変わるし、見るものによって音も変わる。
視ると聴くは繋がってるんだなと思った。
視覚と聴覚を行ったり来たりする、当たり前のようで普段意識していないものを改めて感じる体験。
今ここで私たちに聴こえている音だけど、その音を作ったのは過去。って、よくよく考えたらすごく不思議。
気になった展示作品を振り返る。(撮影は一部展示のみ可。)
3,《IS YOUR TIME》坂本龍一 with 高谷史朗
東日本大震災で被災して泥だらけになったピアノが、地震のデータから得た音を奏でる。頭上にはしんしんと雪の降る空の映像。雪の日に、こんなふうに落ちてくる雪を見上げていたことあったなぁ、なんて思い出す。
役目を失ってモノになったピアノ。彼にとっての表現するための道具としてのピアノという存在と、ただのモノに還ったピアノの存在に思いをはせてみる。
4,カールステン・ニコライ《PHOSPHENES》 《ENDO EXO》音楽:坂本龍一
6,坂本龍一+高谷史朗《async-immersion tokyo》
音に対してクリエイターが映像をつける、というのなんとなくわかるけど、逆はどうにも難しい。それぞれの特性によるものなのかもしれないけど、少なくとも私にはすごく難しく感じる。
だったらこの人は、どうやって音を作っていたんだろう?頭に映像を浮かべてそれを音にしていたのか?多分ちがうような。
この人はいろんなものが視えちゃう(スピ的なのじゃなくて)から、一般社会で生きていくのが大変だったんじゃないかなぁと思う。
⑤坂本龍一+アピチャッポン・ウィーラセタクン
《async-first light》《durmiente》
無意識の音に包まれて。眠る人々(たまに動物も)を見ながらこちらもウトウトしながら観た。人間って、動物の中でも睡眠の時間がかなり長い生き物だよな~燃費悪いよな~なんて思いながら。

「流動するもの、見えないもの、聴こえないもの」
今回の展示で何度も出てくる「霧」と「水」。
この装置、家に欲しい。休みの日に一日中これ見てぼーっとしたい。



この作品は万人が楽しめるものだと思う。
10,坂本龍一+中谷芙二子+高谷史朗《LIFE-WELL TOKYO》 霧の彫刻
実際に霧のなかに包まれることが出来る体験型のインスタレーション。
(時間が無かったのと濡れるのが嫌で私は屋内から鑑賞)


今回の展示で感じたことは、音楽家:坂本龍一という一人の人間を深掘りするというより、坂本龍一から影響を受けた人がいろんな角度から表現したらこんな感じになりました。っていうものを展示していた印象。
実際に展示の一画にロジックツリーみたいな感じで坂本龍一から関連する人や物を無数に枝分かれさせている図があって、それはまるで宇宙みたいだった。
影響。それは無限に拡がる宇宙だ。
手書きの日記?みたいなカードがズラッと並べられた展示の中で、ふと目に飛び込んできた言葉が印象的。
自分が他人に何を提供できるか
「自分の為」という時代じゃない
自らの持つ稀有な能力をどのようにして社会のために使えるか、それをずっと考えながら創作をしていたのかなぁ。
11、坂本龍一×岩井俊雄《Music Play Imases ×Images Play Music》

展示の最後に現れた、ホログラムの坂本龍一。
自動演奏のピアノに、ライブの演奏映像を合わせて。曲間に観客に向かってお辞儀したりして、本当にすぐそこにいてピアノを弾いているみたい。
余談、3Dホログラムといえばhideを思い出してしまう世代…(あれをなんて未来的!って思ったのはもう何年前か)
そして、ここでもピアノの音が光によって可視化されている。見えた音は、太陽みたいだし、星空みたいだし。
坂本龍一の音楽はいつも美しくて悲しい。
肉体が無くなっても、こうやって時間を越えて私たちの前に現れて、影響を与えることができる。
(ひゃ、現代美術って、そういうこと?!)
色々と考えることもあったけど、ひとまず今回の展示は空間の中に没入することが楽しかった。ボーッと音と映像の空間に埋もれることでメディテーション的な効果も感じられた。
予想外だったのが、来場者の大半が20代〜と思わしき若い客層だったこと。海外の人も多かった。みんな訳知り顔で「ふむ」と小難しい顔をして展示を見ていたのが印象的。

「音を視る、時を聴く」ってこと、もう分かったよね、って言われてるみたいだった。

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