ポストPSR時代のSaaSバリュエーション
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11月中旬、上場SaaS企業の決算開示が出揃った。
各社の開示資料では、足元の決算状況に加えFY2026~2028に向けた中期計画を示す企業が増えている。
それらのページでは主に「営業利益率」や「EBITDAマージン」など、利益面に関する訴求が中心となっている。
上場企業にとってはごく一般的な内容だが、先行投資による赤字計上を続けてきたSaaS企業にとっては、これまでの投資回収時期に差し掛かるとともに、支えてくれた投資家との「長年の約束」を果たす時が来たと言える。
従来、SaaS企業のバリュエーションにおいてはPSRやEV/Revenueなどのマルチプルが主に用いられてきたが、企業価値評価では、EV/EBITDAやPERなど、利益やキャッシュフローベースで測ることが基本だ。
今後、多くのSaaS企業が利益創出フェーズに移行する中で、従来のトップラインによるマルチプルから、利益ベースでの議論により目線を移していく必要がある。
実際、上場SaaS企業のCFOやIR担当者に取材を行うと、「機関投資家とはEV/EBITDAをベースに企業価値のディスカッションを行っている」「直近2年ではPSRを参照することはなかった」などの声も聞かれる。
SaaS領域はまだ成長の余地が大きいが、持続的なトップラインの成長と高い利益率が達成されることで、投資家にとってさらに魅力的なカテゴリーとなり、それが新たな投資循環を生む。
本記事では、SaaS企業の利益創出やマルチプルに関する整理に加え、上場SaaS企業5社のCFO・IR担当者に取材を行った現場の声をお届けする。
なぜ、これまでPSRが使われてきたのか
PSRは、プロの投資家からするとやや違和感のある指標だ。
Comps(競合企業比較)で用いられるEV/EBITDAやPERの分子・分母は利益(もしくはキャッシュフロー)と企業価値(株式価値)の倍率であるため、ざっくりと「その企業を買収する総額が利益の何年分」というイメージも湧きやすい。
それに対し、PSRやEV/Revenueは、あくまで売上高をベースとした倍率であり、コスト割合が個社ごとに異なるとともに、本当に想定利益が実現するかの不確実性も存在する。
そのような「粗い」マルチプルであるPSRが使われてきたのは、大きく3つの理由があると考えられる。
① スタートアップを中心に赤字を計上する戦略をとっていたため
先行投資による規模の拡大やマーケットの獲得を目指すグロース企業は赤字となることで、実現利益によるマルチプルを算出することが出来ない。
SaaS企業比較においては、利益に対する先行指標として売上高が用いられているが、さらに古くは、toC系のIT企業でもPV数などをベースとしたマルチプルなどの考え方も存在した。
2010年代、米国発のSaaS拡大手法が定着し、LTVやユニットエコノミクスの考え方が広まるなかで、日本においても広告宣伝費や人件費の先行投資が行われた。
この先駆け的な動きがSansanであり、未上場ながら大型資金調達を広告宣伝費に投入する戦略に注目が集まった。
俳優、松重豊さんの「それ、早く言ってよ〜」でお馴染みのテレビCMもVCからの資金調達で生まれたものだ。
2017年に上場したマネーフォワードを皮切りに、Sansan、freee、kubell(旧Chatwork)、ヤプリ、プレイドなどスタートアップ型のSaaS企業が赤字でIPOを行い、そのバリュエーションにはPSRやEV/Revenueが適用された。
ただ、赤字による先行投資を行うこと自体は、SaaSビジネスにおける絶対的なセオリーではないことも付け加えたい。
資金調達を行いIPOに向かうスタートアップ型のSaaS企業が登場する以前には、ラクス、インフォマート、サイボウズなどが営業利益率20%を超える水準で上場を行っている。
② ビジネスの予見性が高いため、将来利益を見通しやすい
SaaSビジネスは予見性の高いビジネスであると言われている。
PMF後においては、S&M、G&A、R&Dの費用投下による成長率、利益率のコントロールがしやすい。
近年、PEファンドがスタートアップへの投資を進めるなかでSaaS企業に着目する理由もこの予見性の高さがポイントとなっている。
利益率が見通しやすければ、売上高がその先行要素となり得るため、「PSR≒PERの先行指標」という考えが成立する。
過去にある投資家とディスカッションした際に「しっかりとビジネスが成立するSaaS企業であれば、当期純利益率が20%出せるとみなし、PSR1倍=PER5倍の関係値が成り立つ」といった視点を持っていた。
個々のSaaSプロダクトのコスト構造や未実現利益の不確実性を織り込む必要があるが、ボラティリティが高い業種と比べれば、売上に対する利益創出蓋然性が高く、その観点からもPSRが受け入れられたと考える。
③ 将来性を反映させたい企業側の思惑
以前とあるバーティカルSaaSの起業家とその企業の資金調達について話した際に「これまでのARRの延長線でしか評価額に反映されないことに不満を感じる」とのコメントが聞かれた。
これは、バーティカルSaaSの特性上、コア業務を抑えるプロダクトでシェアを握れると、周辺プロダクトやFintech、マーケットプレイスといったビジネスの広げる際に優位性を持てるため、非連続な成長が可能となり、そのポテンシャルも含めて評価をして欲しかった、という意図だ。
このような意向を実際に企業価値評価に組み入れるかどうかは、市況感や個別の判断によるが、特にバブル期においては、その妥当性を利益算出のモデルで厳密に図るというよりは、ざっくりと同業種のPSRを適用させる雰囲気があった。
当時、このような状況を冷ややかな目で見ていた証券会社のアナリストからは「PSRのようなマルチプルがもてはやされれば、もうバブルと呼べる」といったコメントも聞かれた。
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とはいえ、これらの流れの根本は、米国を中心にでこっていたテック企業やSaaS企業投資への過熱による影響を大きく受けたものであり、その時点では、トップラインマルチプルを用いることに合理性があった。
重要なことは、市況感やフェーズの変化を踏まえ、その時々で最適なコミュニケーションを取ることであり、その目線の獲得が今回の記事のテーマとなる。
PERでみる上場SaaS企業のバリュエーション
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