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ロシアは平等主義の夢を見るか?#2

歴史ストラテジーゲーム『Victoria 3』のロシア平等主義社会の実現に挑戦したAAR(リプレイ)です。広大な国土と莫大な人口という課題を克服するため、今回は連邦化という戦略を採用しました。

本文中の出来事はすべてフィクションです。実在の人物・団体・国家などとは一切関係ありません。


前回のあらすじ

ロシア帝国は諸民族の自治権を拡大。緩やかな連邦制に移行しました。

政治の主導権を握る貴族会議は産業革命に対応するため社会改革を推進したものの、宗教学校を拡充したことで正教会の勢力拡大を招きます。

二度の対英戦争はロシアの勝利で幕を閉じましたが、実力の差をまざまざと見せつけられる結果になりました。

1853年のロシア連邦。バルト連合州はフランスの保護国になった。

第2章 混迷の連邦

進まぬ改革

1854年、立憲君主制に移行したばかりのロシアを揺るがす事件が起こりました。議会の開設に不満を持つ貴族がクーデターを計画したのです。計画が成功すればロシアは専制政治に逆戻り。数十年の苦労が水の泡です。

政府内に不満を持つ利益集団が存在すると発生するイベント。

この反動に対して、新たに政治的権利を獲得した人々が立ち上がりました。実業家が声を上げたのに続いて、知識人もクーデターに反対の立場を表明。勢いを失った陰謀は失敗に終わりました。

今は議論の時ではなく行動の時だ。行動が一日遅れれば、ロシアは一世紀遅れを取るだろう。

ロシアの法学者
クーデターを防ぐには時間切れまでに不満を解消しなければならない。

クーデターは阻止したものの、その後のロシアは正教会(聖職者)と貴族会議(地主)が政治の主導権を握り続けました。実業家は一向に力をつける気配がなく、改革は停滞を余儀なくされます。国内は安定していましたが、進んだのは税収の改善だけでした。

  • 1861年 農本主義

  • 1865年 人頭課税

1866年の利益集団。依然として正教会と貴族会議の力が強い。

東アジアへの進出

シンガポールの獲得をきっかけに東南アジア諸国がロシアに接近し始めました。ロシアは貿易協定や独立保障を通じてこの地域に勢力圏を拡大。勢力圏に入った国々を時間をかけて従属国にしていきました。

ロシアはマレー半島やボルネオ島に勢力圏を拡大した。

1853年、太平天国の乱が勃発。他の列強を牽制するため清と防衛協定を結んでいたロシアは、援軍を派遣して半年で反乱を鎮圧しました。以後、ロシアと清は重要な貿易相手国として互いに友好を深めて行くことになります。

ロシアの介入により短期間で鎮圧された太平天国の乱。

1863年、ロシアはシンガポールから日本に艦隊を派遣して開国を迫りました。ロシアの強引な砲艦外交に幕府はあくまでも拒否の姿勢を貫きますが、ロシア軍が圧倒的な戦力で薩長の砲台を占拠すると、長崎の割譲を条件に講和に応じました。

黒船は沖合から悠々と大砲を撃ってくる。それに引き換えこちらの弾はその半分も届かない。これではまったく戦にならぬ。

日本の下級武士
弱腰の幕府は簡単に屈するかと思われたが、外交戦は戦争に発展した。

大義なき戦い

1850年代を通じてアメリカ合衆国の成長は著しく、その影響力はロシア連邦を凌駕するほどでした。アメリカを脅威とみなすロシア国内の正教会、知識人、実業家は一致団結して反米ロビーを結成。アメリカを外交戦で屈服させるよう政府に要求します。期限までに実現できなければ、反米ロビーは激怒し、国内政治の舵取りは極めて難しくなるでしょう。

アメリカがロシアを追い抜いたことで反米ロビーが誕生した。

反米ロビーの要求通りにアメリカに外交戦を仕掛けるなら、外交戦が戦争にエスカレートすることを覚悟しなければなりません。しかし、ロシアとアメリカの間には大西洋が広がっており、戦争になれば勝算は皆無です。

そこで目をつけたのが、アメリカとメキシコの間でいまだに独立を保っていたテキサス共和国です。テキサスを守る陸軍はわずか数個大隊。手始めにテキサスを征服し、橋頭堡を確保した後でアメリカに外交戦を挑めば、戦争になったとしても上陸戦で苦労することはないはずです。

1855年、ロシアはテキサス侵攻作戦を開始しました。この時、反米ロビーの要求期限は3ヶ月後に迫っており、ロシアは作戦の成功を見届けることなく続けてアメリカに外交戦を仕掛けました。

反米ロビーの要求がきっかけで大義なき戦いの幕が切って落とされた。

ロシアはアメリカにルイジアナの独立を要求しました。ルイジアナはテキサスの東隣にあり、テキサスを確保した後なら簡単に占領できると思われたからです。同盟国のオーストリアがロシアを支援し、さらにメキシコがロシア支持を表明しました。

しかし、アメリカは一向に屈服しません。外交戦の間もテキサス侵攻作戦は続けられていましたが、テキサス軍の抵抗は予想以上に激しく、ロシア軍はなかなか橋頭堡を確保できませんでした。

少数精鋭のテキサス軍はロシア軍の上陸部隊を翻弄した。

外交戦でアメリカに要求を飲ませることができないまま、このタイミングで反米ロビーの要求が期限切れになりました。各利益集団は激怒し、国内は大混乱に陥ります。もはや意義も大義もなくなった外交戦でしたが、どちらの陣営も引き下がることはなく、そのまま全面戦争へとエスカレートしていきます。

それは制御不能な狂気だった。この戦争に意義がないことは誰もが知っているのに、誰も止めることができなかったのだ。

ロシアの外交官
巨大な岩が崖を転がり落ちるように、一度勢いのついた戦争は止まらなかった。

アメリカとの間に戦端が開かれてもなお、ロシア軍はテキサスに上陸を果たしていませんでした。ロシア軍の意図を察知したアメリカ軍はメキシコ湾に艦隊を派遣し、上陸作戦の妨害を始めます。その艦隊の指揮を執るのはかの有名なペリー提督でした。

ペリー提督はロシア軍の上陸作戦を執拗に妨害した。

ロシアの不幸は続きます。アメリカとの開戦直後に旧都サンクトペテルブルクでコレラが大流行。皇帝ニコライ1世が病に倒れ、そのまま帰らぬ人となったのです。

新たに皇帝の座についたのは長男のアレクサンドル2世でした。新皇帝は先帝が進めた改革と戦争の継続を宣言。長男ニコライを皇太子に立てました。しかし、その皇太子も4年後に急な病で世を去ってしまいます。

インドの風土病だったコレラは産業革命とともに世界に広まった。

翌年、戦争はロシア側の優位で進んでいました。しかし、占領地域はつい数年前までフロンティアだった新興開拓地ばかりで、どこまで行ってもアメリカの継戦能力を削ぐことができません。ロシア軍は全土から徴集した兵士を大西洋を越えて前線に送り込んでおり、兵站の維持に必要な輸送船の数は膨れ上がる一方でした。

アメリカ軍の真の目的は我が軍に補給上の負荷を掛けることにある。本国からの輸送船が途中で襲われれば我々は敵地に屍を晒すしかない。

ロシアの将軍
メキシコの参戦で戦線は確保できたものの、どこまで進んでも開拓地ばかり。

そうした中、度重なるアメリカ海軍の妨害を退けたロシア軍はついにテキサス上陸に成功します。テキサス政府は即日降伏。第二戦線を確保したロシア軍は戦争目標であるルイジアナに向けてようやく進撃を開始しました。

テキサスが降伏した後もアメリカ海軍はロシアの兵站を妨害し続けた。

苦戦の末、翌年ルイジアナの州都ニューオリンズが陥落。のちにテキサス=ルイジアナ動乱と呼ばれる大義なき戦いは幕を閉じました。

ロシアはテキサスに傀儡政権を打ち立てるとロシア連邦の一部としました。独立したルイジアナもすぐにロシアの勢力圏に組み込まれ、最終的にはロシア連邦の構成国となります。

この戦争が平等主義社会の実現にどんな影響を及ぼすのか、この時点で予見できる者はいませんでした。

ロシアの傀儡国となったテキサスは不思議なデザインの国旗を掲げる羽目に。

次回予告

新興勢力の台頭により自由主義改革は再び進み始める。だが、その前に立ちはだかったのは宿敵ヴィクトリア女王だった。果たして、ロシアは平等主義社会の夢を実現できるか。

次回「一時代の終わり」

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