蜘蛛の巣
SNSで「見て欲しい」と言う声がたくさん上がっていた「アトリエの前」でを拝読した。結論から言うと「怖い」と思った。
何が怖くて何に恐怖を覚えたのか、そんなことは一切わからない。1つ思ったのは私は蜘蛛なのか蜘蛛の餌なのかどっちなんだろう。と。
最初に話出したのは事務所に入ったころのお話だった。
事務所に入って他よりも差を付けたいと思うのは至極当たり前なことである。彼も早く多くの人に知ってもらいたいその一心で「静岡出身です」と言って他との差別化を測っていた。
「新幹線で通っている」と聞いたら「大変だね〜」「あの子新幹線で通ってる子だ!」「すごいね〜」と印象に残りやすいだろう。
そこからファンを獲得することもイケナイことでは無い。むしろ自分なりの努力になると私は思う。
ましてや、何度も自分で履歴書を送って憧れの人に早く近づきたい!と思えば差別化は「当たり前のこと」だと思う。それも中学生の頃だ。
この一種の自分の強み(地方から通っている)を自分で撒いたヤバイことだと気付けるわけがない。
大都市東京都と違い地方では一瞬で全てがバレてしまう。
今のご時世で言うならば「コロナ」だろうか。
コロナに感染した〇〇代の女性(〇〇市)テレビでこれだけの情報が流れるだけでどこどこの誰々だと特定される。
嫌がらせに近いようなことも行われていたのが事実だ。
テレビやSNSでこの情報が出た数時間後には特定が終わっている。SNSの速さと結束力は恐ろしいものだ。
今から約10年前の話になるとすればここまで特定はされなかったのでは?と思うかもしれない。
だが、技術の進歩で特定が出来るようになったわけではない。と私は思う。
彼の降りる駅がバレていた。自宅がバレていた。小中学校がバレていた。
どこからバレたかと特定するのは難しいかもしれないが、ある程度の想像は出来るのではないだろうか。
「同じ小中学校の人が言ってしまった」
アイドルと同じ学校や同じ地域に住んでいたら自慢したくなってしまう気持ちも分からなくもない。
ましてや「ジャニーズ」ともなれば。それを言ってしまったのは身近な人だったのかもしれない。「ここだけの話」と言うのが好きな人は多いだろう。
しかし「ここだけの話」にならないのもまた事実だ。
広がっていけば「私だけが知っている」と錯覚しSNSに書き込んでしまえば簡単に検索から「教えて欲しい」と声が上がるだろう。
ある種の「承認欲求」だ。この人は知っている。と分かれば「情報」をもらおうと必死になる人がいる。
そうなればもう逃げられない。蜘蛛の巣の中である。
「もしかして着いてきていた?」
ストーカーと呼ばれる行為は今でも多くある。
SNS上の写真から特定しその場所に行き着いていく。
待ち伏せをして着いていく。
どちらにせよストーカーと言う行為は犯罪だ。
しかし何度も着いていくわけでなければ「バレない」のかもしれない。
1度だけ着いていけば駅の特定も自宅の特定も簡単なことなのかもしれない。
そこまでして手に入れた「情報」をどうしたいのだろうか?
「知らない人が訪ねてくることがあった」この文章に私は恐怖を感じた。
当の本人は尚更だろう。訪ねてどうするつもりなのか?何がしたいのか私には到底理解ができない。
最寄駅で偶然を装って待っている人もいるだろう。それを見抜くことは難しいように私は感じる。
地方であれば電車の本数には限りがあるから毎日一緒でもたまに一緒でも気になることはない。見かけない顔がいてもなんとも思わない。公共交通機関なのだから当たり前だと思う。
こうして「情報」を得られれば満足なのだろうか?ここからが「始まり」なのかもしれない。
SNS時代の今「隠語」と言われるものを使い「情報」を交換しているのを見たことがある。
「情報」と呼ばれるものの交換は一体誰が得をするのだろうか。
このようなことを書けば「情報交換」をしている子たちに怒られてしまうかもしれない。しかしこれこそが「蜘蛛の巣」「蜘蛛の餌」なのかもしれない。
もちろん私自身もSNSをよく利用している。
なんの気無しに呟いたことが投稿したことが誰かの「餌」になっているのかもしれない。
しかし、そこまで考えていては「楽しむ」ことが出来なくなってしまう。
芸能人の努力は計り知れない。その頑張りを一瞬で無駄にしてしまうことに手を出してしまう人もいる。しかし、多数がその努力を守るために行動している。その努力を守って上げて蜘蛛にこれ以上捕まらないように餌をばら撒かないようにしてあげるのは「周りの人」の仕事なのかもしれない。
心を開かない人にはそれなりの過去があるのかもしれない。いや、心を開いているように見せて全てを曝け出している人は少ないだろう。
人はほとんどが自分を守って生きている。自分以外に守りたい大切なもの。それを守るために自分を削って生きているのだ。そんな人たちの邪魔はせずに私たちも自分を守りながら楽しんで生きていきたいものだ。
拙い文章ですが最後までお読みいただきありがとうございます。
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