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桜のある東京に住んだ話
昔、東京に住んだことがあった。
とは言っても、実際は会社の研修でたった2週間だけな上にホテル暮らしをしていたので、厳密に言うと滞在していたという方が全くもって正しい。それでも超カッコつけたいので東京に住んだと言わせてもらう。
そうさせるくらいの魅力が東京にはある。
今でこそ切符を買って新幹線に飛び乗ってしまえば2時間ちょっとで辿り着いてしまう東京。けれど家族での1回と、友人達と行ったディズニーリゾートの動線と修学旅行とでの計4回しか東京に行ったことのなかった当時の私にとってはなんだか桃源郷のような、二次元の様な、本当に人が暮らしているのかさえも疑わしいような、東京はそういう場所だとしか思えなかった。まして、そこに2週間も滞在するなんて、社会人とは随分と非現実的な身の上になるのだなぁと思ったりなんかした。
研修の中休みに渋谷を歩いてみようと思った。今思えば折角の休みなのだから他の観光名所に行ってみれば良いものを、研修場所が渋谷だったことと、当時かなりの出不精だったこと、完全なるお上りさんの私には都内の路線図が全くの理解不能だったことを慮ると当時の私が休日に出掛ける先は渋谷の以外の選択肢が無かった(とは言っても、藤井みほなの『GALS!』の世代なので、東京と言えば渋谷のイメージがバリッと強く張り付いてなかなか薄れなかったもので、その憧れに引き寄せられたと言うのも強ち嘘ではない)。
その日はいつもより多めにマスカラを塗った。当時お気に入りだったキャメルのジャケットと黒のフレアワンピースに黒のコンバースを履いて、ホテルで少し遅めの朝食を摂って渋谷に出た。ビジネスカジュアルにA4サイズのバックでしか歩いたことのない渋谷は、平日と言えどその日もやはり人が多かった。どこを見ても人だらけ。人、人、人。
スクランブル交差点とそこから見えるスタバを眺めながら通り過ぎる(あそこのスタバを見る度、窓際の席なら一日中いても飽きなそうだなといつも思う)。平日なので若者で溢れているかと思いきや、旅行中と思われる外人や年配者やスーツを着たサラリーマンらしい人もいる。
とりあえず馴染みの入りやすい所からと、手始めにユニクロに行った。馴染みのあるはずなのにあんなに大きなユニクロは初めてで思わずキョロキョロしてしまって、防犯カメラに映った私は挙動不審だったに違いない。それからLOFT、PARCO(仙台店よりBGMが大きくてうるさかった)と当時仙台にはなかったH&Mにも行った。その後適当に昼食を済ませて(多分マックだったと思う)雰囲気のいい雑貨屋さんだとか、私が入れそうな店は手当たり次第入った。目ぼしいものがあれば買うつもりだったが、結局何も買わなかった。
そろそろ夕方になろうとする頃、夕飯の買い物をしに駅の裏へ向かった(簡易キッチンの付いているホテルだった)。ホテルから少し歩いた先に100円ローソンがあったので適当にそこで済ませるつもりだった。大きなビルに挟まれた薄暗く細い道を通って歩道に出る。広い歩道にオレンジ色のタイルの大きな車道。その割には駅前と比べると歩行者も交通量もぐんと減っていて、なんだか一気に気が抜けた。なんなら見覚えがあるんじゃないかと思うくらいの馴染み加減だった。歩道を歩く人もまばらだった。
途中、何人かとすれ違う。ママチャリに乗ったおじさんに手を繋いだ親子連れ、仕事帰りだと思しきサラリーマン。みんなそれぞれ、これから自分の家に帰るのかなと思った。
歩いていくうちにじわじわと日が暮れてくる。時々、夕暮れの薄暗い時間だと言うのに辺りが薄いオレンジ色のベールに包まれているようなやわらかな色に見えることがある。この時がまさにそれだった。緩やかな風も相まって随分心地よかった。折角の心地なのでもう少し先まで歩いてみようという気になり、そのまま100円ローソンを通り過ぎる。歩道には桜が植えてあった。桜はその細いシルエットに沿ってポツポツと花を咲かせていた。
歩いているうちにぽつりぽつりと街灯が灯り始める。研修の帰り道に夜の渋谷を通る度、そのから見上げる空は薄い煙で燻っていて、なるほど、東京とは空の光を吸収してネオンを灯す街なのだと思っていた(すきなバンドが星空を引き摺り下ろしたせいで空が空っぽと歌っているのを思い出した)。けれど、ここはそれとは随分とかけ離れていて、そこに灯る光は穏やかで、まるで風に吹かれたら揺らいで消えてしまいそうに見えるものだから不思議だった。
渋谷の駅を少し離れただけでまるで異世界に来てしまったかのような、足元が覚束ない感覚になる。
いつのまにか、渋谷を抜けて来てしまったようだった。道なりに歩き続けると素敵な赤いワンピースとアジアンテイストの象の置物が飾ってある雰囲気のあるお店があった。店の奥にある煌々と灯る青いガラスのランプが美しかった。その隣にはこれまた雰囲気のある布屋さん。入ってみたかったけれど、とても私なんかが入れるような雰囲気ではなかったので、少しだけ覗いてから通り過ぎた。
歩き続けた後、大きな歩道橋の前まで来ていた。明日も早いので、この辺で戻ろうと思い、来た道を戻る。途中、同じ道を歩くのはつまらないなと思って向かいの道に移った。
気が付けば辺りは夕暮れを超えて夜に差し掛かっていた。相変わらず人通りは少なく、私の前にサラリーマンがひとり歩いているだけだった。暫くしてふと、そのサラリーマンが立ち止まる。私が彼が「立ち止まった」と認識する頃には彼は既にシャッターを押していた。遠目にケータイの液晶がぼんやり光っているのが見えた。それにつられて私もその先を見るとそこにも桜の木があった。行きで見た線の細いようなものではない。歩道に植わるには程よい太さのその幹はどことなく女性的で、チュールスカートのようにふわふわと揺れる花は全く満開だった。丁度街灯を包む様に咲いていた花は綿毛を思わせ、見事で豊満な花を咲かせていた。ぼんやり灯る街灯を包むように咲く桜はまるでその灯りを吸収したかのようにやわらかなオレンジ色をしている。その周りは灯りの加減で夕闇に溶けたような薄紫色と白。とても美しかった。
(東京にこんなに美しい桜があったのか)
次の瞬間、私はドキリとした。ここは春の日本の東京なのだから桜が咲いているのは当たり前のことだというのに。それすら特別だと感じていた自分に驚き、流石に大袈裟が過ぎるだろうと呆れてしまった。
随分と東京には憧憬の眼差しを向けてきたが、私は東京で桜が咲くことさえ特別だと思ってしまうほど東京を美化していたのだ。いくらお上りさんとは言え、お粗末にも程があるだろうと度を超えて盲目的だった自分が恥ずかしかった。
サラリーマンが通り過ぎた頃、彼に倣って私もスマホを取り出した。一時の満開を惜しむことなく広げて見せる桜は私のスマホの中で永遠に咲き続ける。当時の解像度にしてはまずまずの写真が撮れて思わずひとりほくそ笑んだ。辺りはほんのりと甘い香り。息を吸えばそれは尚更。
(そう言えば東京は江戸だったんだな)
ふと見上げると桜の中に看板が埋もれているのが見えた。花びらに包まれそこからでは文字が見えず、真下から覗き込む。目を凝らすとそこには「渋谷東商店街」と書かれていた。
ここは間違いなく東京の渋谷だったのだ。