首の骨を手折る
いつもの美容室で男性スタッフがシャンプーをしてくれた。まだ男の子の面影が残る男性。かれこれ6年も通っているけど男性にシャンプーをしてもらうのは随分久しぶりだったのでなんだか新鮮だった。まず当たり前だけど手のひらが大きい。頭を抱えられたときの接触面積が広い。有り体な表現だけどゴツゴツして骨ばっている。手のひらが私の皮膚に触れる度に皮膚のキメの粗さが分かる。それは少し堅いけれど丁寧なシャンプーで彼が今年の新卒だというのが手のひらを通して伝わってきた。
昔とてもすきだった創作小説を書いていた人がいた。
「男ってその気になれば女の首を折れるくらいの力があるのに、その腕で女がこんなに優しく気持ちよくなるように触れるなんて可笑しいけど素敵なことよね」
彼女の小説にあった一文。果たしてこれが事実がどうかは分からないけど、とても鮮烈に残っている。 その所為か、私は男性が触れてくる度に「この人が少し力を込めれば私の首は簡単に折れてしまう」と思わずにいられなくなった。今の所、恐怖を感じるような触れ方をされたことはないので問題はないが、未だにふとした瞬間によく思い出す(因みに当時私は17か18歳だったので、この文章を書いていた2つ下の彼女は中学生だった可能性がある)。
よくある話だが、私は子供の頃大抵の男の子より身長も高かった。特段ではないけれど大抵の男の子より速く走れた。先生に誘われるがままに始めた水泳と陸上競技は、背泳ぎは同学年では一番速かったしハードルも高飛びも彼らよりは高く跳べた。良くも悪くも生来プライドが高いくない性格なのでそれをあまり誇らしく思ったことはないけど私の立ち位置はここなんだな、と子どもながらになんとなく思っていた。
よくある話は続く。子どもは次第に少年と少女になり男性と女性になっていく。
私の地元はド田舎の1クラス学年なので出席番号順で並ぶ隣の男の子は6年間同じだった。彼も背の高い子だったけど、どんぐりの背比べで1年の節目でしか隣にならない私たちは出席番号で整列させられる度にどちらの身長が高いかで戯れたりもした。
そして小学校の卒業式の練習の、普段は背の順で並んでいる列を出席番号で並ばされた時。ふと、隣に影を感じて左を見ると私の頭半分ほど視線の高くなった彼がいた。彼を見上げなければならなくなった私に彼は何も言ってこなかった。ほぼ丸6年間、背比べで戯れていたのに卒業間際になって身長の話はされなかった。彼にとって私の身長を抜くことはごく自然なことで話題にする程でもなかったのかもしれないし、もしかしたら密かに優越を感じていたのかもしれない。ただ身長が抜かされた事実に対して私はショックよりも「男の子はそういうものなんだろうな」とさっぱりした気持ちで彼を見ていた。その時はここ数ヶ月の身体測定の値を見て、自分の身長がもう昔のようぐんぐんとのびないことを悟っていたので。
それが切っ掛けか、はたまた原因かは定かでないけど、たぶん私は男性に対してなんとなく諦めのようなものを持っているんだと思う。とよう足掻こうにも「敵わないな」という根強い思いがある。
だから、彼女のあの文章が今でも鮮明に残っているんだろう。それは別に同じベットにいる男女には限らない。例えば仕事という枠で括っても日常的に否応なしに人の身体に触れるシーンなんてたくさんある。彼のような美容師、介護士と看護師、医者。スタイリストにデザイナー、スポーツインストラクター。今はこれくらいしか思いつかないけれど、きっと他にも男性が女性に触れる機会なんてたくさんあるのだ。そんなシーンなんて珍しくもなんともない。けれどその腕が女性の首を簡単に折ってしまうと思い込んでいる私にとっては、男性がその腕で女性に優しく触れているという事実に妙に感動してしまうのだ。