あの日のクリスマスケーキ

クリスマスケーキに纏わるエピソード。
20歳のクリスマスイブだったと思う。私のシフトがそろそろ終わるかという頃、これからシフトインするバイト先の一番年上のTさんが「みんなで食べなよ」とホールケーキを買ってきてくれたことがあった。あまり表情豊かな方ではなかったけれど、バイト歴も長く頼り甲斐のあるTさんはみんなのお兄さん的な存在だった。
そんなTさんがクリスマスプレゼント的な感じでサプライズをしてくれたので、周りのバイト仲間はかなりはしゃいでいた。私もその様子を見ながら一緒に笑った。笑ってはいたけれども、内心は冷や汗をかきながらかなり焦っていた。その時、1番早くシフトから上がるのが私1人だけだったからだ。

願わくば上がり時間近くにラッシュになってシフトを延長し誰かと一緒に上がれれば、と思ってみたものの、クリスマスイブにフツーのファミレスに来るのは仕事帰りのサラリーマンかファミリー層が数組であるというのは毎年決まっていて、それに違わずその年も客足はぽつぽつと乏しいものであり、私の思いも虚しく、結局私は定時に上がることになった。

さて、いよいよ困ったことになってしまった。タイムカードを切り、向かった休憩室には私ひとり。目の前には人気者のTさんが好意で買ってきた、まっさらで美しいホールケーキが。箱には陽気なサンタとトナカイが「Merry Christmas!」と楽しげに笑っている。そしてその中にあるクリスマスケーキの白いボディが箱のビニール部分から少し見える。
その佇まいはまるで私を嘲笑している――わけがないのだけれど、当時の私には本気でそう思えた。「この美しい私にあなたみたいな人間がナイフを突き立てることなんか出来るのかしら?」と言われているようだった。

「みんなで食べてね」。その言葉の「みんな」に紛れもなく私も入ってはいたのだろうけど、その言葉を好意と真に受けて素直に食べるべきか、人気者のTさんが買ってきたまっさらで美しいホールケーキに新人の私がナイフを刺していいものか狼狽しながら悩んだ。
別に食べたところで「あ、あいつ食べて帰ったんだ」ぐらいにしか思わないだろう。更に帰り際に「ケーキ美味しかったです!ご馳走様でした!」とか加えて「私が1番に食べちゃってすみません☆」みたいなことが言えたら完璧だったのかもなぁとも思う(まぁ、言えたら苦労しなかったと思うけど)。
そこまでシュミレーション出来ていながら、身体は全く動かなかった。別に差し入れのケーキを食べたところで後ろ指を刺される環境でも立場でもなかったけれど、なんなら甘いものだって大好きだったけれど、けれど、どうにも手が出ない。
どうしようどうしようとオロオロしている間に時間は一刻一刻と過ぎていく。21時50分。そろそろキッチンの子が上がってきてしまう。私が上がってからそれなりに時間が経っているので、鉢合わせるのは気まずいので避けたい。避けたいけど、けど、けど、けど――。
焦りと混乱で自分の呼吸が浅く、早くなっていく。気分が悪かった。

悩んで悩んで、悩んだ末に、秋の終わりに始めたバイト先にまだ馴染めなかったのもあって、まっさらなホールケーキに自ら進すすんでナイフを刺す度胸もなかった私は、結局食べずに帰るという選択を取った。

私服に着替えてキッチンを通り(キッチン前を通らないと玄関に出れない作りだった)「お先に失礼します」と挨拶もそこそこに足早過ぎ去ろうとした際、後ろから「ケーキ食べた?」と声を掛けられた。心臓が握りつぶされるような思いで振り返ると、同い年の男性の先輩に絡まれながらもこちらを見るTさんがいた。
紛れもなく、私に声を掛けていた。
その声で「この人は全面的な好意で私に話しかけてくれている」と直に感じたけれど、それと同時にその気持ちを素直に受け取れなかった自分が恥ずかしくて、Tさんには申し訳なくて、だからと言って「アッ!食べるの忘れてた!」とすっとぼけることも、素直に謝ることも、「わぁ〜食べていいんですか?嬉しい!」と周りの同僚たちのように可愛げのある後輩らしく愛想を振りまくことも出来ず――。
頭がグチャグチャになって焦、混乱する中、その1・2秒の間で私の頭が出した答えは「もうダメだ」だった。

「私は大丈夫です」

そう口早に言い残して私は逃げるようにバイト先を後にした。

逃げるように、ではなく、実際逃げていた。駐輪場へ向かう階段を降りている時、再び手をつけていないまっさらなケーキにが脳裏に浮かんだ。美しく、そして私を嘲笑うかのようにテーブルに置かれたクリスマスケーキ。少々の罪悪感と好意と受け取れなかった自分の不甲斐なさで居たたまれなくなって「私は大丈夫です」と酷く下手くそな返事をしてそのまま帰ってしまった事実。そんな私を見てその場にいたみんなが「なんだよアイツの態度」と悪態を吐いているのではないかと思うと余計に気分が悪くなった。
私が言葉を発した途端、視界の隅に見えたTさんのちょっと驚いたような顔がじりじりと一定の距離を保ったままそこにいるように感じられた。

Tさんは普段から物腰が柔らかく、全国的に見てもなかなか偏差値の高い大学に通っていて、その上背も高くスラッとして、就活用に切られたものか、短めな前髪が爽やかで年齢の割にまあるい目が可愛らしい印象を与える人だった。
特別な感情は無かったけれど、いつも心の中で私は彼のことを眩しく思っていた。事実、クリスマスにバイト先の後輩にホールケーキを差し入れをしてくれた事実には普通に感動したし、それ以上にバイト先にクリスマスケーキを差し入れるという物凄いことをサラッと出来てしまうその人がその日は余計に眩しく感じて、緊張して、尻込みしてしまった。
今思えばTさん自身「クリスマスの日にバイト先の後輩にケーキをプレゼントする俺」に多少酔っていた部分も否めないなとは思うものの、当時の私には絶対に真似出来ないことだった。

それからクリスマスケーキを見るとこの時の記憶思い出しては頭を抱え、「Tさんあの時は本当にごめんなさい。声を掛けて貰えて嬉しかったです」と心の中で念じている。Tさんの中で、あの出来事が「クリスマスの嫌な出来事」として記憶に残っていないことを祈りながら。

とは言えだ。もしも今の私があの年のあのクリスマスにそのまま戻ったとしても、オロオロと逡巡した結果、結局あのケーキにはナイフを刺せないまま帰るんだろうなと思う。ただ私はもう世間知らずの20歳の小娘じゃないので、きっと誰にもバレないように裏口からこっそりと出て行くけどね。

#備忘録 #クリスマスケーキ

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