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26,000円にイヤホンを挿す夜
『――それでは5月8日の月曜日に、朝の8時までに敷地内に出しておいて下さいね』
「はい、よろしくお願いします。失礼します」そう言って通話ボタンを押した。
今日、かれこれ10年連れ添ったMDコンポを処分した。10年分の、しかも思春期の音楽という私のルーツのウエイトを大きく占めてきたものなので愛着の大きさは言わずもがな。それに「処分」という言葉を使ってしまうことにとても抵抗があるのだが、「捨てる」という言葉を使うと余計悲しくなってしまうし「手放す」というのも厳密には語弊があるので、やっぱり「処分」という他無いのだ。残念ながら。
それを買ったのは高校の時で、確か2万6千円だったかと思う。母が割と立派なレコード・CD・カセットが聞けるオーディオを待っていたので、普段CDを聴くときは母の物を借りていた。しかし次第に自分専用のオーディオに憧れはじめ、部活でウォークマンタイプのプレイヤーも必要になったことも切っ掛けとなり、自分専用のオーディオの購入を決めた。CDは元より当日最先端だったMDを聴けること、そして何よりそのアーティストの深夜ラジオの録音が出来るようになるというのが最大の魅力だった。
それを買うと決めるまで半年くらい電気屋の広告を見続けた。自分で買える範囲の物を隈なくチェックした。それはつるんとしたボディに多彩なイルミネーションが美しいオーディオだった。広告が入る度に赤と黄色のフォントで「お値打ち!」と書いてある製品は適度な頻度で変わっていたが、それだけは一向に値下げされず、半年間ずっと変わらない値段で広告の隅に載せられていた。
それを購入すると決めた日、電気屋に入りオーディオコーナーに向かう私の後を母が付いてくる。「これが欲しいの」という私に母は「ちょっと高いんじゃない?」と言った。その言葉は私を嗜める、というポーズの裏に「高校生なのにそんな高いもの買ってどうするのよ」というニュアンスがはっきり見えた(私の沽券に関わるので言わせてもらうが、元より私は母に強請ったり幾らか出して貰う気はさらさらなかったし、ちゃんと自費で購入した)。
「やっぱり高いでしょ」と言う母を気に留めず店員に声を掛けた。「これが欲しいんですけど」という私に男性の店員は「あ、こちらのホワイトですね」とディスプレイの下にあるダンボールを指差した。それを見てすかさず母が「もう少しどうにかなりませんか」と言った。彼は困り顔で「う〜ん。これはこちらが精一杯でして。申し訳ありません」と頭を下げた。当時、思春期と適度に反抗期が混在していた私は母の値切るという行為に恥ずかしさを感じていたし、困り顔をする彼にも申し訳なく思ったので、値切る母を他所に「いいです。これ買います」と彼に伝えた。
高校の買い物としての2万6千円が高いかどうかは私には判断しかねるのでその点については割愛するが、当時の私には特段高いものだという認識は無かった。バイト経験もない高校生の金銭感覚ということを踏まえても、「それくらいの価値がある」と信じて疑わなかったので迷いはなかった。
購入したそれをトランクに入れ家路へ向かう車を運転しながらまたもや母は「やっぱり高かったんじゃない?」と言った。既に購入してしまっているというのに未だぐどくど話す母に私は「10年くらい使えば十分でしょ」と返した。
家に着いたら早速説明書を取り出してセットアップをした。理科、とりわけ電気分野は苦手だったが(この表現の仕方で察して欲しい)配線が思いの外簡単だったことと欲しい物を購入したという高揚感でそれはすんなり完了した。電源を入れると美しいイルミネーションが薄い夕闇の中でチラチラと光りその光に胸が踊った。
それから部活のCDをMDに落としWALKMANで聴いた。だいすきなバンドのCDをイヤホンでリピートしながら勉強をした。悲しくて落ち込んだ時はイルミネーションを薄く落として真夜中に悲しくなる曲を聴きながら泣いた。
極め付けはすきなバンドのヴォーカルがパーソナリティーの深夜ラジオを聴くことが出来るというのが至福だった。深夜の25:00〜27:00という時間は当時の私は未だ踏み入れたことのない新境地だった。すきな人のラジオというだけでとてもドキドキするのに、当たり前にみんなが眠っているとっぷりと深けた夜に私だけが起きている、という事実に何とも言えない高揚感があった。眠気と戦いながらこれまで起きていたことがない時間にひとりで聞く深夜ラジオはものすごく不思議だった。それに挿したイヤホンが時々紛れる電波の音と彼の声を細部まで拾ってくれた。ラジオの生っぽさというか、深夜にだいすきな彼の声がリアルタイムで聞こえる上に、イヤホン越しにその言葉尻までが耳にダイレクトに聴こえるので、ふいに今この時間に起きているのは彼と私だけで、彼は私に向かって話しているのではないかという錯覚になったこともある。錯覚だけど、最高だった。
翌日に模試のある日は泣く泣くMDに録音してりして、番組の最終回までなんとか聞ききった。
それは私に特別な時間をくれた。あの夜は私の深い青春である。
MDのWALKMANは大学入学前に壊れてしまって代わりにiPodを使うようになった。その数年後、時代の流れでMDは生産中止になってしまう。ショックだった。それでも自宅では手元にあるMDを使って音楽を聴いていたし、CDだって問題なく聴けた。
けれど遂に去年の秋頃からCDが止まるようになってしまった。再生が出来ない訳ではないが、度々手動で操作しないとスムーズに音楽が聴けなくなった。寿命だった。
今年の初売りで新しいオーディオを買った。スリムな黒いボディ。店舗は違えど、それを買った店と同じ電気屋だった。10年前と同じように念入りに下見をしてオーディオコーナーへ行った。店員さんを捕まえてiPodで視聴もした。彼は「これは本当にいいですよ。値段なだけありますよ。低音が違いますから」と笑って言った。
新しいオーディオが届き、自力で配線を整える。呆気ないほど簡単だった。それがあった場所には新しいオーディオが置かれた。とりあえず、それは新しいオーディオが入っていたダンボールに入れることにした。心苦しかった。しかし、私の狭い部屋にはいつまでもオーディオを2つも置いてはおけない。
4月の半ば、市の粗大ゴミセンターへ電話した。GW後の8日に引き取ってもらうことが決まった。仕事の都合で当日の8時までに出すことが難しかったので前の晩に指定の場所に出した。8日の朝、9時半に家を出た。もう持っていかれているかと思ったが、それはまだ敷地内にあった。朝日を浴びてつるんとした白いボディが眩しかった。
20時。帰宅し疎らな街灯の明かりを頼りにそこを見ると、そこには何もなかった。安っぽいとは思いつつも夜に塗られたコンクリートをぼんやり立ちながら少し見つめて、部屋への階段をゆっくり登った。