そんな風に纏わりつかないでよ
煙草の匂いが苦手だ。なりたくもないのに感傷的にさせるのは世間一般のパブリックイメージが強すぎるせいだと思う。こんなに世間が分煙、禁煙、煙草税値上げ、なんて世間が騒いでいる時代にも関わらず、愛煙家たちは我が道を行く。私の世代だとチャットモンチーや宇多田ヒカルの所為で、結局、格好よくてちょっと切ない、に落ち着いてしまう気がする。加えて元恋人が喫煙者だとどうもそのイメージにつけ込まれてしまって感傷的になりがちである、というのは私の偏見。
自慢にもならないが私は人より少し鼻が効く。加えて煙草の匂いは苦手なので結構敏感になってしまう。飲み屋から帰ると自分に付いた匂いや自分のコートに付いた匂いなんか最悪だ。帰宅すれば直ぐさまリセッシュを乱射するくらいには苦手だ。
(とは言え、ふとした時に香る、火を点けたて煙草の匂いにはどうも無駄に意識してしまう……。というより、寧ろすきで、これだけ語った手前おかしな話だけど、火を点けたての煙草の匂いは妙に落ちつくので本当に不思議。火薬というか、火の燃える匂いというか、純粋な香ばしさではない、火の燃える匂いは妙に深呼吸をしたくなるのだから笑える)
非喫煙者の私だが、煙草は特別な物なんかではなく、いつもかなり身近に存在している。職場に行けば常に一定数の喫煙者がプカプカ蒸しているし、夜道でふわりと匂うなぁと思うと向かいの人間が歩き煙草をしているなんてこともザラにあるので、全然特別な物ではないのだ。だからもし煙草を目にする度に「昔付き合ってた彼が喫煙者でさ。煙草の匂いを嗅ぐと思い出すんだよね」なんて言い出す輩がいたら十中八九「ウワァ面倒臭いのが来たな」と思ってしまう。だからそれを棚に上げて「煙草の匂いは感傷的にさせる」なんて恥ずかしいことはここでしか言えないので、どうか許して欲しい。
「人間の脳はそういう造りなんだ。嗅覚を司る部分が記憶や感情を司る場所と直結してるんだよ。だから匂いが一番記憶を鮮明に呼び覚ますんだ」
矢沢あいの『NANA』に出て来る一文。人の記憶を強く呼び覚ますのは匂いだというプルースト効果は有名な話だが、煙草ほどそれを感じることはない。悔しいことに。
(作品の台詞の中でこれが一番印象に残っていたのだけど、随分前に読んだきりだったのでこれを機に調べてみたら見事に煙草の件からのこの台詞だったのでなんだか苦笑してしまった)
私が煙草の匂いで思い出すことはいつも決まっている。
当時遠距離だった彼の家に泊まりに行った日のこと。9月だったか10月だったか。兎に角その季節にしてはやたら蒸し暑く、馴染みのないベッドの寝心地も手伝って眠りが浅かった。
真夜中を回った頃だったと思う。ふと目を覚まして横を見ると彼の姿は無く、代わりにキッチンのオレンジ色の薄い明かりが視界に入ってきた。ゴォーと換気扇の音が鈍く聞こえていて、ガラスのドア越しに彼の影が透けて見えた。その腕は口許に寄せては離れる、という動きを不規則に繰り返していて、私は暫くそれを枕に頭を預けたまま眺めていた。
私は煙草を吸う人と付き合っているのだな。そんなことを思っていたら次に気がついた時は朝になっていて、あれは夢だったのかとも思ったのだけれど、彼の体から煙草の匂いがしたので夢じゃなかったんだなと思った。
その後、結局彼とは別れることになるのだけれど、悲しいことに彼との記憶で一番鮮やかに残っているのはあの真夜中の喫煙シーンである。なんなら最早彼の顔だって朧げなのにあの夜のことだけやたら鮮明に覚えているので、プルースト効果とは凄まじいとしみじみ思う。一時とはいえ恋人であった彼の顔さえも朧げであるのは正直申し訳ないと思っているのだけれど、そっちもその一時で私に強烈な記憶を塗り付けてくれたので、これでお相子になれば、と都合よく思う今日この頃。
(因みに今こんなことを書いているのかというと、行きつけの映画館でその彼がすきだと言っていた作品が複数リバイバル上映されていて、久しぶりに彼のことを思い出したからだったりする)