ライフログと歩んだ1年。私が見つけた「人生において大切にしたい価値観3つ」
はじめに
「人生において大切にしたい価値観は何ですか?」と聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか。
私はライフログ(*1)を活用し、約1年をかけ価値観の言語化に挑んできた。
*ライフログに関するnote(マガジン)はこちらから
私の価値観
私の人生において大切にしたい価値観は次の3つだ。
私は価値観を「私を私たらしめる要素」と定義した。これらの価値観が満たされている時、私は生き生きと私らしく人生を謳歌していると感じられる。価値観は判断軸であり、一種のチェックリストでもある。
価値観を形成した原体験
ライフログに取り組むことで、これらの価値観を形成した原体験を鮮明に思い出すことができた。一サンプルとして、それぞれの価値観の原体験を紹介したい。
さかのぼれば、中学の部活動選択から就職活動、そしてこの春のキャリア選択まで…私は人生の節目で必ず「心が躍ること」を選択してきた。
中学に入り「ドラム叩けたらかっこいいな!」という単純な憧れから吹奏楽部の門を叩いた。少し時間がかかったけれど、その憧れは中学3年生の時に現実のものとなった。
高校に進学。「吹奏楽はしんどいから卒業!」と思っていたのに、先輩たちの輝く姿を見せつけられて感動の末大号泣。結局、吹奏楽部よりしんどいマーチングバンド部に入部を決めた。「絶対に全国大会に出場するんだ!」という夢を胸に、2年目に悲願の全国大会出場。小編成の部3位になった。
大学3年生、いよいよ就職活動。無名の地方大学出身者には無謀と言われるチャレンジだったが、就活生が選ぶ人気企業ランキング常連(だった)のエンタメ企業を受験した。
「本気で言ってる?」「現実見なよ」と何度言われたことか…。
でも幼少期からの夢は、大学生になっても色褪せることなく強烈に私を惹きつけた。これはもうしょうがないと、素直に自分の想いに従った。
進路のことで大喧嘩した後に、母から「なりたい自分になってもいいんだよ」と言われ、努力する前から自分には無理だと決めつけるのは辞めようと思ったことが転機となった。
人事も火傷するほどの情熱とガムシャラな努力。異常なまでの企業研究と自己分析、練りに練った自己PRの甲斐あってか無事6次選考を通過し、長年の夢を現実のものとした。
そして社会人10年目の今年。転職でも、退職でもない第3の解としての「休職」を選択。自身の価値観と強みを最大限に生かせる事業への挑戦を目的にフリーランスに転身した。
どれもこれも、最初は本当に小さな「憧れ」から始まった拙い物語だ。
そういえば昔、某ベンチャー企業の面接で「憧れだけでは何も成せないよ。」と言われたことがある。辛辣な意見にビビり散らかしたが、上記のような原体験があった私には“憧れは悪い物ではない!”と確信があった。
「そうでしょうか。憧れは私の原動力です。そこから始まる挑戦があっても良いと思います。」と生意気にも言い返した。
それが効いたかはわからないが、一応その後の選考にも呼んでいただけたことから的外れな回答でもなかったのだろう。(逆に?その程度の批判で萎縮していたらお断りされていたような気もする。)
こうやって振り返ると順風満帆に見えるかもしれないが、夢に向かって歩む道のりはとても険しく、辛いことも沢山あった。
エントリーシートを書きながら泣いた夜もあった。この夢を手放せたらどれだけ楽になれるかと嘆いたこともある。でも…それでも諦められず衝動に突き動かされる「夢」や「憧れ」があるなら、どうか諦めないでほしい。
夢中になって取り組むと、自分の想像を超える行動(=努力)ができる。自分の可能性を決めるのは自分。”挑戦し切ってから諦めたっていいじゃない”というのが私の考え方だ。
まずは自分の可能性を信じること。可能性はいくらでも今日、この瞬間からの自分の行動量で広がっていく。そこに上限はない。
両親は私が9歳の時に離婚している。それから母の地元・浜松に引っ越したのだが、離婚の事実を告げられた時は頭が真っ白になりショックで寝込んでしまった。
しかし、この崖っぷちでポジティブ発動。「そうだ、引っ越さなければ浜松の友達とも出会うことはなかったんだ。だから、これでよかったんだ。」と自分に言い聞かせた。
もう1つ、印象的な出来事がある。
大学の文化祭でのダンス発表のさなか、膝を捻ったことで前十字靭帯を断裂してしまったのだ。普通、アスリートがする大怪我で私のような一般人はヒザの中、切らないらしい…。笑
2度の手術を受け、リハビリも重ねての全治8ヶ月。なのに、完治した1ヶ月後に自転車で転倒し同じ足を骨折。即車椅子生活に戻り、大学では「車椅子の子」と呼ばれた。泣
怪我により自由を奪われ、大好きなダンスもできず、本当に辛かった。(後で知ったが、厄年だった。結論、みんなお祓いに行こう。)
この経験から「日常」とは、常に約束されたものではないと心の底から実感した。辛くて仕方がなかったが、「まだ治る怪我でよかった。怪我をしてしまったことはしょうがないから、今の自分にできることをしよう。」と気持ちを切り替えた。
振り返ってわかったことだが、私は無意識のうちに「リフレーミング(*3)」をしていたらしい。
過去は変えられないから、せめて捉え方を変えようともがいたことがこのポジティブマインドにつながっている。
参考:https://biz-shinri.com/reframing-7723
その後も、性格の合わないクラスメイトと一緒になっても、どうせならいいところを見つけようと考えたし、母と喧嘩しても、何か辛いことがあっても、なるべくポジティブなことを探していた。
そのお陰で、「良いところを見つける」ということが一つの特技になった。
入社してすぐの頃、同期とのグループワーク中にあまりにも私がメンバーの良いところを次々に褒めるものだから「妖怪人ホメ」と呼ばれたこともある。笑(良いことしてるのに妖怪って…www)
ブランドプロデューサーとして活動する現在、この特技が想定以上に役立っている。クライアントさんが気づいていないユニークな点や素敵な点を見つけ、それを唯一無二の個性として差別化ポイントまで昇華させていくことができるからだ。
辛い出来事をそのままにせず、タダでは起き上がらない貧乏根性がここにきて大化けした!
私は、感情を無視して働くことができない。その点、非常に子供っぽいと思う。悪く言えば気分に波があり、それが周りにもダダ漏れてしまう。(気分というより、調子の良し悪しが極端。バイオリズムとも言える。)
可能な限り波の高さをならそうと試みたこともある。社会人らしく自分の感情と仕事を切り離さねばと努力していた。でも、それが自分らしくないと気づいたのはここ最近のことだ。
ジェットコースターのように急旋回・急停止・上昇と落下を繰り返す私の感情は、今までも私にたくさんの気づきを与えてくれた。
大人として感情と上手に生きていくのも必要なテクニックだと思うけど、私はどんな感情も見捨てずに、ともに生きたいと思っている。こうして、私の人生のしないことリストに、”感情を無視して仕事をする”が加わった。
もう1つ補足しておきたいことがある。「しなやかに」という言葉に込められた小さなストーリーを。
私が辛くて辛くて仕方がないと母に泣きつく時、いつも優しくかけてくれる言葉がある。
しなやかに風を受け流す柳のように生きていきたい。幹は太く、根は深く大地に広がり、雨の日も風の日もただそこにいて、人々にこれでいいんだよと言ってあげられるような愛ある人間になりたい。
以上のような経緯から私の価値観はこの3つに収まった。
さいごに
価値観は、時を経て変化していくものだと思う。アップデートされると言った方が適切かもしれない。
今の私がまだ知らない知識を得たり、初めての体験をしたり、新しく出会う人から教わることもあるだろう。新しいものを吸収したら手放す考え方もある。きっと徐々に、グラデーションのように考え方が変わっていくのだろう。
それでいい。自分らしさを都度認識しながら、一度しかないこの人生を味わい、存分に謳歌したいと思う。
価値観の言語化フロー/How to verbalize values.
・過去の印象的な出来事を書き出す
・その時の感情、その出来事が人生に与えた影響を書き出す
・共通点を抽象化し、キーワードにする
・キーワードを繋げ合わせ、文章にする
・「価値観」とその「原体験」を人に話してみる
・違和感が残るようならしっくりくるまで書き直す
価値観は変わってOK!都度アップデートしていこう。
詳細はオア明奈さん主催のライフログスクールにて✨