「毒親育ち」と「モラハラ」の関連性について
流石にこれはちょっと驚いたのですが、「モラハラ被害者」と言う方の親が「毒親」と言うケースをTwitterでかなり見かけ、自分も例に漏れずこのパターンなので今回これをテーマにしてみました。
「毒親」のパターンについて
いわゆる「毒親」と言う存在には様々なパターンがあると思うのですが、大きく二つに分けられるのだと思います。
一つ目が、
【放任否定パターン】
これは基本的には放任でほぼ関与無く放ったらかしなのに、子供に子供としての義務を強要し、子供を都合良く利用しようとするが、何かあれば人格否定し子供の可能性をも否定するパターン。何を考えるにも基本的には自分なので子供を叱る基準も「子供の為」では無く、自分が「子供のせいで面倒くさい」と感じる時が多い。
二つ目が、
【過保護に過干渉パターン】
これは文字通り過保護に過干渉な親なのですが、その大きな原因は「境界線の不全」の様です。我が子が自分とは別の意思や人格を持っていると言う事が全く理解出来ず、自分の感じた通りに子供も感じ、自分が思う様に子供も思っているとしか考えられないと言う思考が基本にあります。
なので「世の中で一番かわいいのは自分=我が子が世の中で一番かわいい」と言う体でしか物事を考えられないので「自分が何もしたく無い依存体質=子供にも何もさせたく無い」と言う思考になる様です。
なので何かも先回りして何でも子供がやる事をやってしまいます。
なので子供を叱る基準は、自分の考えと子供が同調しない場合が多いようです。
この大きく分けた2つのパターンが「モラハラ」に大きく関わって来てるのだと僕は考えます。
「毒親」の正体
話がスムーズになると思いますので最初に言っておきますが、「毒親」と言うものの正体は、何らかの「パーソナリティ障害」だと思います。多分一番多いのが
「自己愛性パーソナリティ障害(NPD)」
多分次が「境界性パーソナリティ障害(BPD)】
や他にも様々な「パーソナリティ障害」がありますので興味のある方は色々と調べてみて下さい。
一番多いのが「自己愛性パーソナリティ障害」と言ったのには訳があって、先程挙げた2つの「毒親」のパターンの原因がその症状に丸々当てはまっているからです。
僕はも長年「何故、自分の母親は普通では無い人間なんだろう?」と悩み、考えて来ましたがこれが答えでした。
子供にとってそう言う(パーソナリティ障害)親の元に育つと言う事は、自分の意思とは関係無く、常に“答えの決まっている選択”を強要されながら育つと言う事です。
そして、その強要される選択に対し耐え切れなくなり、自分の意思を失ってしまう子供と、その逆に時には親の意と反する選択をし、人格否定されながらも耐えて生きて行く子供に別れます。
その“どちら”を選ぶのかで、その子供が将来どんな生き方をして行くのかに分かれて行くのだと思います。
そしてそういう風にしか子供を育てる事が出来ず、惜しみない愛を捧ぐ事を知らない人間が「毒親」と呼ばれる存在になるのだと思います。
「毒親(放任否定パターン)」と「被害者体質」の関係について
先に言ってしまうと先程言っていた
【放任否定パターン】の親に対し迎合する事なく耐え続けて来た人は「被害者体質」になってしまい易いのだと思います。
モラルハラスメントの提唱者は加害者から被害者として選ばれる人間の事をこう指摘しています。
被害者は、起こった出来事に対して「自分が悪いのでは」と罪悪感を持ちやすい、誰かに与えることを欲しているという性格が利用される。
幼少期から親に「お前が悪い!」と言われ続け、奪われる事が当たり前の日常で、本物の愛に触れずに育った人間(自分含む)は基本的に愛に飢え気味なんだと思います。
それ故に愛される為に自罰的になり、愛される為にあらゆる物を与え、奪われても怒らず、愛される為に人を愛します。
言い方を変えると愛の為に生きる愛の人です。見方によればとても良い人なんだと思います。
ただ、モラハラ加害者になる特性を持つ人からはそう言う性質が格好の餌食になってしまい易いし、それと同時に狙われ易くなるので「被害者体質」と言われる様です。
「被害者体質」については実は「毒親育ち」で無くても、そうなってしまう場合があります。ただそれは今回のテーマとは話が逸れ過ぎてしまうので、またの機会に解説させて頂きます。
それとはまた別にこう言うパターンの「毒親」に抵抗するのはやめて自分の心の中に本当の思いを抑圧(無意識に押し込める)し迎合して育つ人は、これは本当に何となくなのですが「境界性パーソナリティ障害になる可能性が高い様な気がします。特有の常に持ち続けている“不安”はこう言うルーツから生まれているのではと思っています。
「毒親(過保護に過干渉パターン)」と「モラハラ加害者」の関係について
このパターンで過保護に過干渉、その上に自分自身の考えを許されない事に対し、抵抗する事をやめ、自分の本当の心を抑圧(無意識に押し込める)してしまった人間は、母親と同じ様に「母親が正しいのなら自分も正しい」「自分がそう思っているのなら他の人もそう思っているはずだ」と言う自分と他人との境界線の無い人間になってしまう可能性が高いです。
これで「モラハラ加害者予備軍(NPD)」の出来上がりです。
これに関しては言い切ってしまいます。
先程も触れましたが、「毒親=自己愛性パーソナリティ障害(NPD」と考えると、親が「NPD」の場合にその子供が「何らかのパーソナリティ障害」になる確率が【79%】だと言う事です。かなり高確率です。
これは「過保護に過干渉パターン」だけで無く、「放任否定パターン」でも同じで、育って行く過程で抗う事をやめてしまう人はそうなり易いのだと思います。
どちらにしても、子育てに「本物の愛」が無いなんて普通に考えると信じられない事ですが、そうやって子育て(?)をしてしまう人間がいると言う事が事実なんだと思います。
モラハラ被害者の方々のツイートを見ていても、モラハラ加害者にはセットで“おかしな親”がついてくるケースが当たり前の様に多い様に感じますが、それはこの辺りの事が原因なんだと思います。
余談
余談ですが当時の僕の義母は、とても優しく人当たりも良く、他人からも多く慕われていて、本当に“良い人”だと思っていました。今でもその気持ちは持ち続けていますが、ただ一つ後になって気付いた事は、「叱れない人」だったと言う事です。
元妻は「一度も両親に叱られた事が無い」と言う事が自慢でしたが、そこまで優秀でも無く、他者に対しても失礼な言動が多く、学校も何度か途中で辞め、お金にも時間にもルーズ。
普通に考えたらこんな子供なら大人になるまでに、最低でも何度かは親から「叱られる」事があるのが普通だと思いますが、一切叱られる事が無かったそうです。
とある教育関係のお仕事の方に聞いたのですが、「叱る」必要がある時に「叱らない」のは育児放棄(ネグレクト)と同じなんだそうです。
こう考えると育成環境って本当に大切なんだと思います。
まとめ
「毒親」と「モラハラ」の関係、いかがでしたか?
「毒親(NPD)」はモラハラの被害者も加害者も作ってしまうと言う恐ろしい事実に、これを初めて理解した時にはどれだけ世の中は理不尽に出来てるのかを呪いたい様な気持ちでした。
ただ、「毒親」を呪っていても何も生まれないし、何も始まりません。
大切なのはこれから先、子供がいる方は我が子の未来、まだ子供がいない方はこれから先に生まれてくる未来の我が子の未来だと思います。
「毒親」の呪いが不幸の連鎖の正体だと思うのですが、その「毒親」に迎合してしまい何らかのパーソナリティ障害になってしまった人間は自分の事しか考えられないので、自分以外の未来の事なんて考えられません。
なのでそれに気付きアクションを起こせるのは被害者だけなんだと思います。
「こんな状況でまだこれ以上何をすればいいの?何をさせたいの?」
と思う方もいらっしゃるでしょう。
でもとても残酷な話ではありますが、自分自身の未来を変えるのも、我が子の未来を変えるのも、今現在あらゆる理不尽を叩きつけられ、努力しても報われず、祈る様に伝える言葉ですら届かず、毎日が地獄の様なループの日々を辛うじて生きている被害者だけなのだと思います。
好きな本の一節です。
「人は自らを救うしか無い」