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ポケカに持ち時間制は導入できるのか?

ポケカの大型大会、JCS1日目が終了しました。
僕は現地参加しており実に芳しくない結果を残しましたので今回はそういうnoteではないです。

前回の京都CLの時は配信で見ていたのですがコメント欄の民度の低さが非常に目につきました。
「今のイカサマじゃない?」「なんで〇〇しないの?」「××(ドマイナーすぎるポケモン)いないの?」など見るに堪えないものが多いですがその中でも個人的にいつも気になるのがこれです。

「長考しすぎ」「将棋みたいに持ち時間制にしたら?」
僕はこのコメントを見る度に「おっ、エアプがコメントしてんねえ!」ってなります。
インターネット石の裏を見るのが好きな人種なので。

今回はポケカで持ち時間制って導入できるのか?について考えていきたいと思います。

ルールとは

ゲームのルールだけでなく、法律などの大きなものにもあてはまる一般論として、ルールに求められる条件というのがあります。

「画一的であること」「目的があること」が特に重要であると僕は考えています。

例えとして法律を見てましょう。

人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

刑法199条

殺人罪の条文です。
ここには「生」と「死」という生物学的に明確な基準があり、そこを超えさせるのが罪になります。
ギリギリ死んでなければ殺人罪になりませんし(別の罪にはなり得ますが)、勝手に死んだとすればこちらの罪が問われることはありません。

厳密には、故意なのか、なにをもって殺すとするのか、人とは何か、みたいな議論や基準もあります。
詳しい説明は省きますが「明確な基準がある」とだけわかっていただければ大丈夫です。
これが「画一的である」ということです。

次に「目的があること」ですが、「どうして人を殺しちゃいけないのか」なんて中学生みたいな問答はする必要ないでしょう。

画一的かつ目的がある、これがルールに必要な条件だということを覚えてポケカのルールに当てはめてみましょう。

持ち時間制の是非

ポケカに持ち時間制を導入したとして上記の条件を満たせるでしょうか。

まずは画一的かどうかを見ていきましょう。

持ち時間制は「一試合中の自分のターンについて制限時間を設ける」というルールです。

僕が気になるのは「自分のターン」の基準です。

持ち時間制が適用されている競技として将棋がよくひきあいに出されますが、将棋には明確に自分の番と相手の番の2つしかありません。
そのため自分の番には自分のタイマーを、相手のターンには相手のタイマーが動いていれば問題ありません。

ポケカはどうでしょうか。

自分のターンに「あなぬけのひも」を使用した場合、相手が前に出すポケモンを考えている時間はどちらのターンでしょうか?

自分のデッキを相手がカットしている時間もあります。
これを自分のターンとして計測されてしまうと意図的にカットを長くして持ち時間を減らす行為をされたり、その意図はなくともそう見られたりしそうです。

では相手がカットしている時間や相手が考えている時間は相手のターンとして計測する、とルールで定めたとしてもまだ問題があります。

ツツジなどお互いに同時に処理をするカードです。
時計を止めればいいのでしょうか。

さらにポケカはルール的に「ポケモンチェック」と呼ばれる自分のターンでも相手のターンでもない時間が存在します。
ここも時計を止めるのでしょうか。

だとするとポケモンチェックのときに考える時間を使うことが効果的な戦略となってしまい、総試合時間が長くなってしまいます。

このようにカードの処理ごとにどちらのターンとして計測すればいいのかわからない事案が多く、画一的に自分のターン相手のターンと分けることができません。

この画一的に決めれない、というのが大問題で自分の時間と相手の時間と分けている以上、自分の時間を少しでも減らされるのは問題です。
自分のターンに相手がカードを落とそうものなら余計なことするな!と問題のきっかけになりそうです。

個別にどちらのターンとして分けたとしてもカードの処理ごとに時計をカチカチすることになり非常に煩雑です。
将棋では決勝などでなければ選手同士で測り合うそうです。
カードゲーマーの民度が試されることになりそうですが、民度だけでなくカードゲームというやることの多い競技できちんと計測できるでしょうか。

そもそも総時間制を導入している目的はなんでしょう。

総時間制では相手の遅延により自分の勝敗が左右されてしまいます。
時間切れで両者負けになることはただの一敗ではなく、その後のトーナメントに上がれなくなる可能性の高まる手痛い一敗になります。

持ち時間制では両者負けになることはなくなるでしょう。
自分の時間の中がなくなったほうが強制的に負けになります。

総試合時間の利点としてお互いの時間だから遅延したら自分の首を締めることになるというのがあります。
これがお互いにプレイを早める、という行動を促しています。
これは持ち時間制を導入して行おうとしている目的を総時間制でも実現できていることになります。
理解できてない人もいて問題になるのですがそれはまた別の話。

それでも総時間制を使う理由は運営が楽だからでしょう。
1つのタイマーを基準にして時間を管理することでどの卓でも同じ時間に始めて同じ時間に終わらせることができます。
3000人規模の大型大会の場合、一つの卓でも試合が長引いていればその日の運営に支障をきたします。

上述の通り、持ち時間制は煩雑な時間管理とどちらのターンでもない時間があり全試合のスケジュールを組むことができません。
全卓に時計を用意しなければいけないというハード的な問題もあります。
時間をちゃんと測れるか、電池が切れてないかと全ての時計を管理しないといけません。
大型大会ならともかく、シティリーグレベルで店舗にそれを課すのは酷ではないでしょうか。

というわけで結論をまとめますと

持ち時間制は時間の区切りが画一的ではない。

持ち時間制は試合時間の管理が煩雑になる。

持ち時間制導入で果たしたい目的は総時間制でも果たしている。

ということになります。
とはいえ三個目の結論は理論的にはそう、というだけであって実現できていないのが現状です。
勝ちに拘る人が、勝ちに拘らない人の頭のせいで不利になってしまうシステムはどうかと思いますがシステムにはいつも欠陥がつきまとってしまいます。
持ち時間制は今がどちらのターンの時間なのか、をシビアに計測しないといけないため勝ちに拘らない人にとっては高いハードルになってしまいます。

この問題の解決法として個人的には時間切れ後も降参できるようにするのがいい気がします。
このルールで不利を被る人というのが想定できないからです。
時間切れのあとでどちらかが降参するかのにらみ合いになり、ギスギスした感じにはなりますが時間切れになっている時点でもう80%がたギスギスになっているのでいいのではないでしょうか。


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