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いろいろなものがたり

はじめに

大学4年生になり1ヶ月が経ちました。とはいえ、今年度もお家にいる時間がとても長いので、進級を実感するのはフォーマルなメールの末尾に所属を署名するときくらいです。皆様はいかがお過ごしでしょうか。

私は最近、普通車免許を(ようやく)取得しました。これで、世間一般に言われているところの「顔写真付きの身分証明書」を要求された際に、学生証と保険証の合わせ技で切り抜けられるかヒヤヒヤしなくてすむなあと、安堵しています。

また、久しぶりにテレビ番組の取材を受けました。「久しぶりに」というのも変な話ですが、2019年の11月から今年の年始まで、一切取材の連絡がなく、ここまで長い期間取材を受けなかったのは、実は震災後初めてだったので。
取材していただいたのは、『皇室日記』という日本テレビ系列で放送されている番組の方で、高1の時、現在の両陛下にお会いした時のことをお話ししました。4/25(日)に放送されたようです(見るの忘れちゃいました)。

さて、今回はこの取材をきっかけに考えたことについて、つらつらと書きたいと思います。
といっても、予め断っておきますが取材の仕方に物申したい!とか、そういうことではありません(事実、とても丁寧に対応していただきました)。

私のものがたり

私が震災関連の事柄について語るとき、いつも心のどこかで引っかかりを覚えます。「果たしてこれは本当に自分の言葉なのか?」と。

今年の3月には、谷賢一さんの戯曲のタイトルでもある「語られたがる言葉たち」という言葉に感銘を受け、noteを書きました。「言葉」が語られたがっているから、考えるよりも先に、言葉が出ているのだ、そう解釈することで納得することができました。

このnoteを書いた後に読んだ社会学者の岸政彦さんのエッセイ『断片的なものの社会学』でも、同様のことが書かれていました。

ある強烈な体験をして、それを人に伝えようとするとき、私たちは、語りそのものになる。語りが私たちに乗り移り、自分自身を語らせる。私たちはそのとき、語りの乗り物や容れ物になっているのかもしれない。
(岸政彦,2015『断片的なものの社会学』朝日出版社,p58)

なるほど、自分が「乗り物や容れ物になっている」から言葉が先に出るし、語りに「乗り移」られた私は、「これが本当に自分の言葉なのか?」と逡巡するのか、と自分なりに解釈しました。

しかし、岸さんはこのようなことも書いています。

私たちの自己や世界は、物語を語るだけでなく、物語によってつくられる。そうした物語はとつぜん中断され、引き裂かれることがある。また、物語は、ときにそれ自体が破綻し、他の物語と葛藤し、矛盾をひきおこす。
(岸政彦,2015『断片的なものの社会学』朝日出版社,p60,61)

「被災地の若者」として、様々な物語を語ってきた私にとって、物語の矛盾や葛藤、そして破綻はどこか後ろめたいものでした。「本当に自分の言葉なのか?」と逡巡することにも、その後ろめたさはつきまといます。
しかし、矛盾や葛藤、破綻は往々にしてあるものなのだなと、それを知れただけで、私は少しだけ、救われた気持ちになりました。

そして、

・私たちの自己や世界は、物語を語るだけでなく、物語によってつくられる
・ある強烈な体験をして、それを人に伝えようとするとき私たちは、語りそのものになる

この二つが重なったとき、私は、ある友人の語りを思い出しました。

友人のものがたり

「自分に期待されると答えたくなるし、それで苦しむのが目に見えているから、大学進学を機に震災絡みの活動から距離を置いた」
このような趣旨のことを、ある時彼(彼女)は語っていました。

ここからは私の妄想ですが、もしかしたら、彼(彼女)も、私と同じように震災関連の事柄を語るときの違和感を持っていたのではないでしょうか。

そして、自分の中で腑に落ちるまで考えるより先に震災についての言葉が語られたがるように出てしまい、その語りと周りの大人たちとの相互作用の中で、彼(彼女)自身の自己が、そして物語がつくられた。
それを繰り返しているうちに気がつくと、「被災地の若者」としての役割を期待される立場にいた。
しかし、大学進学をきっかけにこの物語は突然破綻、もしくは、語りの容れ物でしかなかった彼(彼女)自身がそれとは別の物語を持っている(or持つことができる)ことに気づき、それと葛藤し、矛盾を引き起こした。

......とか。

自分自身のものがたり

ここでは、だから私(たち)はかわいそうだとか、周りがもっと早く気づかせてやれなかったのかとか、そういった話をするつもりはありません。
注目したいのは、私やその友人は、矛盾や葛藤、破綻をきっかけに、自分自身に向き合った、ということです。

岸さんはエッセイの中で、こうも語っています。

物語は「絶対に外せない眼鏡」のようなもので、私たちはそうした物語から自由になり、事故や世界とそのままの姿で向き合うことはできない。しかし、それらが中断され、引き裂かれ、矛盾をきたすときに、物語の外側にある「なにか」が、かすかにこちらを覗き込んでいるのかもしれない。
(岸政彦,2015『断片的なものの社会学』朝日出版社,p61) 

ここで言及されている「なにか」が何かは、私にも未だに分かりません。しかし、ただ語りの容れ物としてしか自己を認識していなかったときに比べれば、着実に、自分自身を自分のものとして取り戻すことができていると思います。

おわりに

最後に、これまた僕の好きなエッセイ『うたうおばけ』の著者である、くどうれいんさんの言葉を引用させていただきます。

ハッとしたシーンを積み重ねることで、世間や他人から求められる大きな物語に吞み込まれずに、自分の人生の手綱を自分で持ち続けることができるような気がします。
(くどうれいん,2020『うたうおばけ』書肆侃侃房,p189)

私(たち)は、自分の中からあふれ出る「語られたがる言葉たち」と、世間や他人から求められることとの相互作用によって、「被災地の若者」という「大きな物語」に吞み込まれていた、いや、今も吞み込まれているのだと思います。

そんな中でも、「大きな物語」の矛盾や葛藤、破綻をきっかけに、「自分の人生の手綱」を自分の手に取り戻す、あるいは持ち続けようとしています。

その一環として、僕もくどうれいんさんに倣い、自分が最近ハッとしたシーンを冒頭に書いてみました。どうでもいいことばっかだな!!!

そんな、近況報告です。


※追伸
ちなみに、『うたうおばけ』はとても素敵なエッセイ集で、笑えたり、ぎょっとしたり、しみじみしたりする人生の断片を、筆者ならではの視点から垣間見ることができます。筆者の「人生はドラマではないが、シーンは急にくる」という言葉に、その魅力がぎゅっと詰まっています(noteにエピソードが1つ上がっていました、以下から読めます)。


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