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離婚して半年過ぎて思うこと。

今年のはじめに離婚した。
たくさん考えて悩んで話して、最後は私から離婚したいと伝えた。

相手に初めて離婚したいと告げられてからしばらくはパニックだった。関係がうまくいっていないことは分かっていたが、子どもたちがいてそこまでの決断をするとは考えていなかったから。でも彼はそう決めてからは、突然子どもと全く遊ばなくなり、家では話すことも笑うこともなくなり、寝ているか仏頂面でソファに座っているだけの人間になった。

今後の自分の生活が不安でパニックになった私は、相手に考え直すようお願いして、一生懸命いい妻を演じた。でも、もちろん自分の不安から出た相手を引き止めるための一時的な行動は見透かされる。私の中に愛がなかったわけではないけれど、自分本位な引き止め方だったと思う。相手を思う姿勢や心の底からのありがとうではなかった。だって私の心の底には離婚を求めた相手への凄まじい怒りもあったから。思い詰めた相手に、自分のために離婚はやめてほしいと願ってもそれは通らないだろう。相手の側に全く立てていなかったなと今は思う。

今思えば、結婚生活中私は心のどこかで「私の方が大変だ。私の方がわかっているのに」という気持ちがいつもあった。好きなのに相手をどこか見下しバカにしていた。頼るふりをして転がして使ってやろうという気持ちがあった。
ただそれは初めからのことではなく、初めての育児や仕事との両立に追い詰められている私が、話したくてもお願いしても向き合ってもらえず、寂しく苦しい長い期間を経て、相手に求めることはやめた末に起きたことではある。

結局お互いに問題を膨らめてしまった。素直になれなかった。相手を思って譲ることができなかった。自分のことばかりだったのだ。私たちは一緒に子育てをするには幼すぎたのだろう。お互いに相手が受け入れようとしている時に突っぱねてしまっていた。相手を信じて許して受け入れて飛び込めなかった。それは結局自分優先で受け入れてもらうことばかりを考えていたからだろう。似たもの同士で未熟すぎた。

私はそんな未熟で幼い自分をこれから育てたい。その未熟な部分と向き合い、目を逸らさず、反省したうえで、もっとやさしく素直な自分になりたい。

今は、穏やかで前向きな日もあれば、嵐のように恨みや憎しみに振り回される日もある。お互いに悪かったと頭ではわかっていても、相手を責めて自分を守りたくなる日がある。心が嵐の日は、自分の心を守りたくて相手を悪者にしているのに、自分が滅多刺しにされているように苦しい。他人を刺すことは結局自分を刺すことになっているのだろう。
苦しいからってさみしいからって相手を攻撃しても、それはより自分を追い詰めるだけだ。苦しさから立ち上がるには、自分も相手も受け入れて前を向く糧にするしかない。
がんばってる自分を滅多刺しにするなんて絶対にしちゃいけない。

明るくやわらかく快活だった自分のいいところを全部なくしてしまったかのようなこの半年は本当に苦しかった。
でも、それもきっといつか私にとってこの経験がプレゼントだったと思える日が来ると思う。

私のふわっとやわらかくあたたかい心は、今は少し疲れて固くなっているけれど、こうしてちょっとずつ今を受け入れればきっと戻ってくる。その時は前よりももっとやわらかくあたたかく強くなっているのだろう。

この先いつかこの文章を見て、がんばっていたな、この時大変だったなーと振り返れる時が来るように今日をまた過ごしていこう。

大切にしてもらった日々があったことも事実だし感謝は数えきれない。半年でそう言えるようになってきた。

子どもたちとのドタバタな毎日は、そんな感傷に浸らせてくれないくらい賑やかだけど、自分の心はきちんと見つめて進みたい。

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