ミスミズムとのあの日の激論
著者とは、一回VRCHATで激論を交わした事がある。
肉体廃止の途中経過でどこかで通る最初の「記憶の改竄」を受け入れる決断が、僕が僕であるための自己決定権に反するという理由で「地球には優しいし、他人にも優しくなれるのかも知れないが僕個人的には受けいれられない」という話になった。
しかし、僕のような「脳改竄拒否派」を段階的に承諾した人から受け入れていく過程も肉体廃止論で救済する人間の一環として計画の一環として加える必要があり、それについて一緒に解決方法を考えさせて頂いた。
その過程を経て、比較的な具体的な筋書きと共にミスミズムは僕的にも問題の無い理論となった。
僕は、死後の自分というものを愛と気合でなんとかなるスピリチャルなモノであり、それが生きる意味自体と捉えている為、電脳化された意識としての永遠の命を得る肉体廃止のメリットを個人的に享受できない。
が、議論を交わした結果、理論上敵対する理論でも無くなったワケである。
本書を読めばおわかり頂けるだろうが、ミスミズムは、非常に綿密に理論武装されており、非スピリチャルな死生観としては相当に完成された理論だろうというのがわかる。
一方で、安全な記憶改竄の技術が社会実装のスタート地点であるため、「今を生きる人」は救済の対象となりえないという弱点がある。
それつまり現利主義に妥協せずに、理論の一貫性を貫いている証拠である。
これは現利に縋り付く、宗教的活動をしている人間には成し得ないワザであり、僕が最初からこの理論に対して好感を持っている理由である。
スピリチャルな救済は無いと信じている人で、今を生きる自分自身が救済されなくても、誰でも救済される仕組みが実現されることを今応援したいという人には、相当な朗報なのではないだろうか。
理論として盤石でありつつも、より多くの人のインプットを受けて、人類が納得するのに必要な過程をより具体的に提示する黙示録として成長し続けていく事に期待している。