『生娘をシャブ漬け〜』より『男に高い飯を奢ってもらうと牛丼を食わなくなる』の方が問題に感じる理由とマーケティング倫理
ニュース等でコンプライアンス問題としてホットトピックになっている『生娘シャブ漬け〜』より『男に高い飯を奢ってもらうと牛丼を食わなくなる』の方が問題に感じ、何故そう感じたのかを言語化してみた。
まず、マーケティングの目的が、『需要が無いコンテンツを売る為の刷り込み』なのか『需要をユーザーに認識して貰う』事なのかで全然心構えが違い、発信者は前者である事を全面的に認めてしまった事になった。
マーケティングという学問・スキルを身につける上で、売ろうとしているコンテンツに対しての尊厳と自信をマーケッター自身が持つ必要があるのではないだろうか。
コンテンツへの敬意はターゲット層への敬意にも繋がるので、仮に今回の様な刺激的な言葉選びでターゲット層を表現したとしても、講義と言う場においては尊厳と敬意を発信者から感じる事が出来たのではないだろうか?と僕は思う。
発信者は沢山のコンテンツを扱ってきて、コンテンツの持つ価値に頼らずに売る事ができるぐらいに能力が高い事が伺えるし、マーケッターたる者なんでも売れるようにならなければならないみたいな風潮があるのも分かる。
商業部で軽く学んだ身としても、思考回路的にコンテンツを信用しない方が、マーケッターとして中立的な視点を維持するのが容易なのも理解できる。
が、しかし、コンテンツを信じる事とマーケッターとして必要な視野は、二者択一ではないはずだ。
コンプライアンスに学び、表面を取り繕うのも汎用性の高い解決方法だが、マーケティングそのものにコンテンツを愛する思考回路も組み込む事を教育やトレーニングの場で教えて行くべきなのではないか?と言う結論に今回の騒動で僕は至った次第である。
マーケティング倫理的な項目をカリキュラムに含め、最低限の講壇内容要項として含める事で教育機関は未然に問題を防ぐ事ができるようになるはずだ。