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宗教と僕-それでもあなたは信じている

今回も大学時代の話。
1年生の時、一般教養で「宗教と民族」という授業をとりました。
先生は荒木美智雄という宗教学者。

この年は1995年。入学直前に地下鉄サリン事件が起きました。僕の通っていた高校の最寄り駅が事件現場の一つでした。

僕の中で、学問として宗教をどのように取り扱っているのか?そもそも宗教とは何なのか?という興味が湧いてきたタイミングだったと思います。

人は生まれながらに宗教的生き物だ

授業の内容ですが、30年たった今でも頭から離れないフレーズがいくつかあります。

  • 人は生まれながらに宗教的生き物だ

  • 君たちは宗教について具体的に考えなければならない

  • 君たちは自分は無宗教だというけれどそれは違う

  • キリスト教や仏教のような集団宗教だけが宗教ではない、宗教はもっと広いものだ

宗教について具体的に考えなければならないと授業のたびに繰り返していたのが印象に残っています。

体が大きく声も大きかったので迫力がある先生でした。何かを僕たちに伝えたいんだろうなと言うことはヒシヒシと伝わってきました。

でもね、でもね、とにかく話が抽象的なんですよ。何いっているのかさっぱりわからない。具体的に具体的に考えろと耳にタコができるぐらい言われるんだけど話は果てしなく抽象的。

結局、宗教とは何なのかは何もわからない。
僕はどうやって具体的に考えれば良かったのでしょうか?

時間の概念を持っていることは悲劇

私たちは過去と未来という時間の概念を持っています。一方で、過去と未来に直接働きかける方法を持っていません。働きかけることができるのは「今」の一点のみです。

後悔に苛まれること、不安や恐怖に縛られ今が空っぽになることは避けられそうにありません。

私たちは最初から最後までこんな状況に置かれ続けます。
こんな悲惨なことってあるでしょうか?
生まれてくる前に教えておいてほしかった。

人が正気を保って生き続けることはとても困難、というよりむしろ正気を保てていたとしたらそれは不思議なことに思えるぐらいです。

ですがどうやら私はいま生きているようですし、どこまで正気かはわかりませんが少なくとも狂っているとは言えない状況です。そして、あなたもきっとそういう状況でしょう。

なぜ私たちはこの中で生きていられるのでしょうか?

生きることは信じること

それは信じているからです。それも私やあなたが自覚しているよりも遥かにたくさんの物や事をです。

キーボードを叩けばこの続きの文章が書けること
明日も太陽は昇ること
今座っている椅子は次の瞬間も僕の体を支えてくれること
帰宅すれば妻と娘に会えること
チキンラーメンはいつ食べてもおいしいこと
僕は次の瞬間も生きていること
蛇口をひねると水が出てくること
サッポロ一番塩らーめんもいつ食べてもおいしいこと
この文章を読んでくれる人がいること

ちょっと思いつくまま書いてみましたが、際限なく書き続けることができそうです。
これらはどれも確かな根拠があることではありませんが、それでも僕はとてもとても信じています。

あなたが何かに裏切られたり、自信を失うようなことがあっても、まだあなたが生きているのなら、あなたが思っているよりずっとずっと多くの事や物をあなたは信じています。

今はいつも贈り物

夜、娘と布団に入って。

娘:「寝るのがいやだ、こわい、だって明日どうなるかわからないんだもん。明日になってほしくない。」
僕:「そうなんだよ。パパも怖いんだよ。生きているのがずっと怖い。まあでもそう思いながら40年以上生きてるんだけどさ。ははは。」

今ちゃん(娘 作)


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