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「10月の名前のない珈琲 Nicaragua:眠りから覚めたなら」

眠りから覚めたなら。
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10月の名前のない珈琲:Nicaragua
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10月の名前のない珈琲を飲んだ印象は、とても透明で棘がないだった。

この感じ、なんだろう。

棘がないとくれば丸い?
いや、ちがう。でも、なんか、こう…。
なんか、こうを頭の中で描いてみるもののしっくりした表現を思いつかなかった。

そして、数日後。
ぴったりの表現を見つけたのだ。

それは、まず、鍋を焦がしたことから始まる。

そう、久しぶりに鍋を盛大に焦がした。

鶏の手羽元を甘辛く炊いている間に考え事をしていたら、気づいたときには、蓋の隙間から煙がもくもくと漂っていた。

もう焦げていることはわかりきっていたから、火を止め、鶏の手羽元を救い出す。

幸いなことに、鶏の手羽元は食べられるくらいのもので、鍋に焦げついたのは、醤油、酒、味醂、砂糖から水分の抜けた濃密おこげだった。

ただ、これがなかなかに厄介なのだ。

こうなったら、一晩、水に浸けておき、翌朝、たわしで擦るのが一番楽な対処法だ。

わたしは寝さえすればいい。

翌朝、台所に立ち、冷たい水をジャージャーと勢いよく流しながら、鍋を擦った。

すると、あんなにひどくこびりついていた鍋底の濃密おこげは、透明な水の中にあっさりと浮き上がり、するりと流れていった。

そして、水から引き上げた鍋は、以前と同じようなつるりとした鍋肌を取り戻していた。

あぁ、この感じ。
10月の珈琲にそっくりだ。

生きていれば、いいこともあればいやなこともあるし、成功も失敗もある。

いやなことや失敗に遭遇したとき、わたしはぐぐぐっとそのことについて考える。

考えて考えて、そして、寝る。

考えたとて、全てが解決できるわけではない。

でも、向き合ってみれば、できうることがわかったり、反対に、どうもしようがないことがわかる。

そして、どうもしようがないことは、眠りから覚めた朝にはどうでもよくなっていることがある。

それでいいのだと思う。

10月の名前のない珈琲「Nicaragua」。

その棘のない透明な味わいは、いやなことでトゲトゲになったこころを抱えながらも、眠りから覚めたときには、そのすべてが流され、いつものこころを取り戻しているかのような味わいだった。

だから、わたしは、10月の名前のない珈琲に、「眠りから覚めたなら」と名付けたのだ。

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