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「2024年9月の名前のない珈琲 Guatemala:気の抜きどころ」

これくらいで、充分に生きていけるのか。

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9月の名前のない珈琲:Guatemala「気の抜きどころ」

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ずいぶんと気を張って、頑張りすぎていたんやな。

近所のドラッグストアのレジで、ポイントカードの説明を受けながら、そんなことを思っていた。

レジにお客さんが並ぶといっても、最多で3人程度。

「◯番レジ、お願いします。」のアナウンスが流れれば、店内のどこかで作業をしていた店員さんがすすっとやってきて、レジを開ける。

その間、本当に見えるわけでもないのになぜか見えてしまう押しつぶさせるような空気とそれに対する焦りの空気は微塵も感じなかった。

店員さんは当たり前かのように、わたしの後ろのお客さんに断りを入れ、レジを閉めて、ポイントカードの説明書を持って、レジに向かう。

断りを入れられたお客さんは何を気にするわけでもなく、次の番を待つ。

そして、穏やかな口調で、店員さんはわたしに説明を始めた。

そもそも、数十秒前の接客時に、過度に気合いを入れた発声ではなく、とても自然なトーンで迎えられたことが印象に残った。

そういえば、この海街の商店では、店員さんとお客さんとの会話は、まるで、ご近所さんと話すかのように肩肘が張っていない。

肩肘が張っていないというのは、決して、タメ口というわけではなく、なんというのだろう、存外に扱っているわけではなく、とても自然なトーンで、お客さんが来る前も来た時も帰った後も何も変わらない空気が流れているのだ。

とはいえ、仕事に手抜きがあるわけではなく、お客さんへの対応はとても丁寧でスマートだ。

これで充分なのか。

それは、東京から来たわたしにとっては、結構な衝撃で、じわじわとこころに響いたことだった。

人の多い東京では、店員さんもお客さんもずいぶんと気を張って、頑張っているのかもしれない。

当たり前で気付いてはいなかったけれど、埋もれないように、流されすぎないように、わたしなりに、一生懸命に踏ん張って、声を出していたらしい。

なんだか、頑張りすぎていたのかもしれない。

9月の名前のない珈琲Guatemalaをカフェラテにすると、ミルクの甘さと相乗効果でやさしさが存分に押し出された味わいで、なんともいえない幸福感が漂った。

気を抜けたからこそ味わえるゆったりとした時間にこころを沈ませながら、これで充分に生きていけるのかと思った。

充分の具合を知るためにも、気の抜きどころを取り入れていきたい。

9月の名前のない珈琲の名前は「気の抜きどころ」。

わたしのこころに静かに、でも、しっかりと響いた「気の抜きどころ」だ。

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