「10月の珈琲 El Salvador:手をつかむ」
この手を離してはいけない。
それは、ほんのちょっとした私の直感だった。
El Salvador:手をつかむ
手を離してはいけない
そう思った
小さなあきらめが作りあげたのは
いつわりのしこり
今、つかんだこの手が
いつか、かならず、溶かしていく
日陰に吹き抜ける風は、湿度のないものになっていた。
こういう風が吹きだすと、ココロが内へと傾きはじめる。
今が過去を探りだす。
「好き。」という感情が生まれた瞬間、それは驚くほどの速さで成長する。
しかも、すべてのことがうまくいくと錯覚させる力を持っているからすごい。
でも、それはとても盲目でもあって、ちょっとタチが悪かったりする。
例えば、とっくに癒えたはずの傷をあたかもまた起こるかのように錯覚させ、不安の種を植えつけるのだ。
そして、その種は小さなあきらめという芽を出し、ココロにしこりを作りあげていく。
この手を離してはいけない。
それは、私のちょっとした直感だった。
すべての状況が手を離せと言っている。
たぶん。たぶん。たぶん。
イツ?ダレガ?ドコデ?ナニヲ?ドウシテ?ドウヤッテ?
今ならわかる。
すべての状況に理由をつけているのは、私がココロに作りあげたいつわりのしこりだ。
直感はとても不確定なものだけど、実は、とても確かなものでもある。
手を離さなかったことには意味がある。
だって、あのとき、離さなかったこの手が私のココロに作りあげたしこりを溶かしてくれたから、今の私がいるのだ。
暑い季節が過ぎ去り、涼しい風が吹きはじめると、外に出ていっていたココロが次第に内に帰ってくるように感じます。
自然と、過去を振り返ることも多くなって…。
タイミングというものは目には見えないけれど、確かにあるモノです。
今の私に繋がる大事なタイミングは、まるで、不安定だけど曇りのない未来に手を通す感覚に似ていると感じました。
そこで、その感覚を透明な酸味を持つエルサルバドルの豆に求めました。