「2023年7月の名前のない珈琲 Rwanda:私の赤のランドセル」
思い出したのは、わたしの赤のランドセル。
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7月の名前のない珈琲:Rwanda
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今でこそ、ランドセルの色や形はさまざまな種類があるけれど、わたしが小学生だったころは、黒か赤、そして、青や茶という選択肢しかなかったように思う。
そのなかで、私が背負っていたのは赤いランドセルだった。
赤といっても、光沢のあるオレンジを帯びた赤ではなかった。
そんな赤いランドセルのふたは、大抵、ぱーんと張りのある肉厚なタイプで、とてもきれいに弧を描いていた。
その様子は、優等生のような清々しささえ感じた。
私の赤いランドセルは、どちらかというと青みを帯びた赤だったのだと思う。
そのせいなのだろうか、どこかシュッとした大人の風情を漂わせていて、ちょっと、異質だった。
入学式、日々の登下校、そして、教室のうしろに並んだランドセルを見るたびに、赤のランドセルといっても、ただ単に「赤」という言葉で表せられないことは感じていた。
7月の名前のない珈琲を飲んだときに感じた赤は、わたしが背負っていた赤のランドセルと似ているなと思った。
学校から家に帰ると、玄関に放り出されるわたしの赤のランドセルは、入学式から日が過ぎるほどに、その形をさらにシュッとさせていった。
きっと、最初はそれなりの光沢もあったろうに、その光沢も徐々に失われていた。
それでも、わたしの赤いランドセルは、いつまでも、ぱーんと張りのあるオレンジを帯びた赤のランドセルよりも、ずっとかっこよかった。
優等生ではないけれど、その存在感は、どの赤いランドセルよりもずっとあった。
7月の名前のない珈琲のRwandaは、まさしく、そんな感じがした。
Rwandaの珈琲といえば、ウォッシュドのイメージが強い。
今までに焙煎したRwandaの珈琲は、現にウォッシュドだったし、その味わいはすっきりとしていて、薄い青や緑、そして、黄を思うものだった。
今月のRwandaはナチュラル。
初めてだ。
まず、ここからして、とても初々しい気分だった。
この時点で、ちょっと、入学式の雰囲気を感じていたのかもしれない。
生豆の香りは、やっぱり、赤。
焙煎の香りも、やっぱり、赤。
そして、珈琲の香りは…。
あぁ、この赤は、青みを帯びた赤だったのか。
私が背負っていたどこかシュッとした、誰も持っていなかったわたしだけの赤のランドセルと同じ赤だ。
なによりも存在感のある赤がここにあった。
そんなことを思い出したから、7月の名前のない珈琲Rwandaに、わたしは「わたしの赤のランドセル」と名付けたのだ。
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