「陶器リング(pottery ring)」製作日誌:序章02-ジュエリークラフツマン
こんにちは、サクライです。
前回のお話の通り、伝統的工芸品である松代焼を使った陶器リング(pottery ring)の製作を思い立ったco:doチーム。
co:doのコンセプト、そしてブランドとしての考え方をアイテムに反映することを意識したとき、「地域活性化」こそが今回のテーマとして表現するに相応しいと感じました。
そして伝統と革新という時代を超えたクラフツマンシップが融合する面白さを、色々な人に届けたいと考えていたところ、上田市で活動するTee. さんに出会ったのでした。
Tee. craftjewelry
Tee.さんは2017年にブランドを立ち上げ、各地のイベントにて出店を重ね、2020年4月「遊べるジュエリーショップ」をテーマにオープンした、工房兼ジュエリーショップです。
オーナーでありデザイナー、そしてクラフツマンである早川智也さんが、独立を経てパートナーの出身地である長野県上田市へと移住し、店舗を開業。
レディメイドのジュエリーから、サイズ調整やアレンジ対応はもちろん、フルオーダーメイドからワークショップ(現在はシルバー925のみ)まで、クラフツマン自らが運営しているショップという強みを活かし、コミュニティに根差した展開を繰り広げています。
デザイナーの智也さんは、日本を代表するハイジュエリーブランドであるNOBUKO ISHIKAWAにて修行を積み、国家資格である貴金属装身具製作技能士の一級を有するクラフツマンです。
長年にわたりハイジュエリーの工房で培った感性と職人技、そしてそのお人柄に惚れ込み、陶器リング(pottery ring)の制作を依頼することとなりました。
銀と人類の歴史
「スターリングシルバー925」とは、純銀92.5%の意味です。
純銀なのに7.5%は他の金属なのかと思うのは当然ですが、加工のしやすさや強度の面から、世界中で925は純銀として扱われています。
人類とシルバーの付き合いは古く、紀元前3000年頃、古代シュメールのウルの王墓にて最も古い銀の宝飾品が発見されています。
また紀元前1750年頃にウル第三王朝・初代王ウル・ナンムによって発布された世界最古の法典であるウル・ナンム法典(ハンムラビ法典の350年前)においては、秤量貨幣(重さでその価値を判断する貨幣の最古の形態)としての銀の単位や、損害賠償を銀で支払うことなどが定められています。
日本国内では植別川遺跡にて、続縄文時代の小刀の装飾に使われていた金属片が最古の銀製品として発見され、現在は羅臼町郷土資料館にて展示されているそうです。
『日本書紀』の674年の出来事の記述として、「対馬国司、忍海造大国申す。銀初出即ち貢奉、大国小錦下位叙」とあり、対馬国司の守であったオシヌミノミヤツコオオクニが朝廷へ献上したものが、日本で初めて産出された銀とされています。
日本に現存する最古の和歌集に収録されている歌でも、銀の価値というものを感じさせるものがあります。
山上憶良(660?-733?) 万葉集第5巻803番歌
「銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」
[訳:銀も金も玉もどれほどのことがあろうか どんな宝も子供には遠く及びはしない]
時代は流れて平安時代には、対馬銀山と多田銀山において銀鉱石が産出されており、当時の飾り職人たちにより銀製の食器や酒器の製作が盛んになりました。
そして1533年に朝鮮から灰吹法が導入されると、生産量が飛躍的に向上し、日本は世界有数の銀産出国家として成長。
(それ以前までは、鉱石を朝鮮半島へ輸出し、精錬された銀をまた輸入するという非常に手間のかかる方法でしか銀を得る方法が無かったそうです。製造に関わる人間としては配送コストが心配になる話ですね...)
江戸時代には銀細工の職人は銀師(しろがねし)と呼ばれ、銀の売買管理と銀貨の鋳造を行う「銀座」が江戸の蛎殻町のみに制限されるようになると、各地の銀師がその周辺へと集まり、さまざまな銀製品を生み出したことが、現在の「東京銀器」の始まりと言われています。
そして日本の銀細工は、1867年のパリ万博において、日本刀や象牙細工、漆器や水晶の玉などと共に、ジャポニズムの後押しもあり、世界中からの称賛を集めたのです。
日本人と指輪について
もはや考古学的資料のレベルですが、日本人と指輪の付き合いは、先史時代にまで遡ります。
そして様々な素材やデザインのアクセサリーと先人たちが親しんでいたことが、各地の遺跡から学ぶことができます。
石製指輪 (指輪型胸飾り) [縄文時代中期 / 金沢市北塚遺跡(石川県)]
鹿角製指輪 [弥生時代前期 / 新方遺跡(兵庫県)]
貝製指輪 [弥生時代中期 / 南方遺跡(岡山県)]
銀製指輪 [弥生時代中期 / 惣座遺跡(佐賀県)]
金製指輪 [古墳時代 / 新沢千塚古墳(奈良県)]
飛鳥時代には象嵌などの彫金技術が大陸から伝わり、木象嵌や寄木細工、螺鈿に蒔絵など日本の伝統工芸へと発展していったものの、「指輪」は江戸時代に海外からの影響を受けるまでピタッと姿を消しているそうです。
江戸時代後期の洒落本『傾城買四十八手(1790年/山東京伝)』の見ぬかれた手という章にて、よふねという名の新造(花魁の見習い)が売れっ子の花魁とクレーマーのお客のやり取りに立ち合い、「ヲヤばからしひ 今のさはぎで ゆびの輪を おとしたそふだ」というセリフを残す描写があり、装飾品としての指輪を文献の中に見つけることができます。
また風俗習慣をまとめた随筆『嬉遊笑覧(1830年/喜多村信節)』においても、
「指の輪 唐山より渡りて近年こゝにて多くもてはやす、彼品は白銅などにて麁末なれば 近頃は江戸にては銀にて作らせ用ゆ、何の用をなすことを知らず」と記載されており、
「ゆびのわ」として指輪が世間にて認知されている様子が見て取れます。
江戸では指輪を銀で作らせるという記述から、同時代に江戸に集まった銀師の誰かによって国産シルバージュエリーが始まったのかと思うと、とてもわくわくしますね。
明治の東洲斎写楽と称される豊原国周による浮世絵『開花人情鏡 焼艾(1878年)』においては、絵画作品としてモデルが指輪をしている様子が描かれています。
いよいよ、次回は工房での様子にデザインについて、より深掘りしていきたいと思います。
今日の一曲
シルバーの歴史を追いかけつつ、ジャズという伝統とトラップという革新を融合するアーティストMasegoから、スムースなレゲエテイストソング「Silver Tongue Devil」をご紹介して、本日はお別れとさせていただきます。
暑かった日の夕方から夜なんかに聴くと、風を感じる爽やかなリズムと艶やかな音色にマッチして非常にオススメです。
ではでは。