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杞憂のち、あかり灯る

散々昨日の晩から病院に入るまで、うだうだ言いながら胃を痛めていた新しい心療内科への転院だったが、こんなことなら早く変えてしまえばよかった!と思えるくらいすんなりと終わってしまった。(まだ初診を受けただけだから今後この想いがどう変化していくかは未知数だが)

予約の時間より結局45分も早く到着して、やってしまったと後悔しながら入った院内は他の心療内科のロビーとそう変わらず、私は諸々の手続きの為に主訴を必要かな?と思いつつも、高校時代から遡って細かく書いた。初めは何となく鬱っぽい症状だけだったこと、それから自律神経がやられ始めて大学時代に遂にパニック障害に罹患したこと、それから今困っている過敏性腸症候群と朝の薬の飲み合わせや寝付きの悪さなどをそれはそれは読みにくいんじゃなかろうかという程には書いた。予めメモをしたためておいて良かったと思う。(これは看護師さんに「分かりやすく書いてあって良いですね」と褒められたので少し嬉しかった)

少し困ったのは家族の心療内科の通院経験で、私はその頃自分の事でいっぱいいっぱいだったから、確かこんな感じだったというのを書いておいたが、それでも良かったらしい。おそらく心療内科では家族間の関係も重要視されるのだろう。家族が最小の社会だろうから。私はそこは当てはまらないので有難い限りである。家が安全地帯じゃなくなったら私のいるべき場所はなくなるだろうし。

診察は思ったよりもすぐに順番がやってきて、医師と今の病状の確認と、今後の大まかな治療方針を聞く。今回選んだ病院の院長は女性の方で、実のところ私はこれまで女医の方とどうも相性が合わず、そのせいで何回か転院をした事があったので、今日はそれだけが唯一の懸念事項だった。

全く話は変わるのだが、小説なんかも女流作家よりも断然男性作家が好きで、女子校にも通っていたのに、男性の教師の方がどちらかというと好ましいと思っていた。おそらくだが、私の大雑把で理論的に考える性格がどちらかというと男性的な思考回路だったのかと思う。(これはあくまでも私個人の考えであって、恩師の中には女性ももちろんいるし、女性的な感性が嫌いだという訳ではない)なので、私は無意識下で女性に対して苦手意識を持っていたのかもしれない。

閑話休題。とりあえず、今回に限っては特に医師との相性は良く、私の話を聞いてそれに対しての治療法なり、解決策を答えてくれて、私の「専門的知識を持った誰かにこの症状に答えを出して欲しい」という問題の一つに光明が見えた。そこでは診察とカウンセリングをセットで行うことも可能だとのことで、今度はカウンセリングを受けるつもりだ。何か困った事があれば電話でいいので遠慮なく伝えて欲しいと言ってくれたのも、ありがたかった。

これでひとまず今年からの治療方針が決まり、安心だ。まずは朝の薬の飲み合わせを変える事。それから、パニックを起こす可能性があるからといって、それを理由に活動範囲を狭めてはいけないこと。自律神経は後10年すれば(これは少しショックだった)落ち着いてくるから、自分の中の波を理解しようと努めること。カウンセリングと診察を行うことで自分の認知領域を増やしていくこと。

以上が医師に言われた事だが、ここまで明確に方針を教えてくれたおかげで、私の中に目標ができた。まずは薬の飲み合わせを変えてみて、午前中活動できるか試す。活動できたら、その時間を今までできなかった家事に回す。そうすれば午後は趣味に使えるようになるから、私が常日頃やりたいと言っている小説を書くこともできるだろう。次に、色々な場所に出かけてみること。特に、散歩の時間を増やして運動する時間を習慣づけてみる。そうすれば、過食したい欲求を家の中でモヤモヤと考える暇もなくなると思う。そうしたら、今のコンプレックスである体型も少しは改善する、はずである。それから、一番大事なのはこうやってnoteなどで自分の体調の良い日、悪い日を書いていって一年単位で私の波を何となくで良いので把握することである。これができれば、そろそろ体調が悪くなるだろうから食事の作り置きをしておこうとか、買い物の仕方も更に効率良くなると思っている。

最大の敵は私の飽き性だが、これも通院をしていけば習慣になるからどうにかなるだろう。今日は実りある1日になって良かったと思う。夕飯のメニューも決まったし、万々歳だ。

五条

雑多な日常を語ってみたり、空想を形にしてみたり。