人が怖い

新型コロナウイルスの流行によって様々な催し物が中止になったり、閉鎖されたりと世間が騒がしい。テレビを見ない私でも嫌というほどには情報がやってくる。ごく平均的な社会人よりもおそらく免疫力のない私にとって、それらの情報は有り難いことなのだが、それと共に私を苦しめる要因にもなっている。

情報錯綜のトラウマである。

私は兎にも角にも情報の波に溺れる気質で、そのせいで就活には失敗するし、今の病気を発現させる事にもなった。情報量の多さだとか、情報の正誤が分からないとかそういうものではなく、そこに含まれる人間の感情にとにかく弱いのだ。

就活も3.11の時もそして今の状況も、周囲の騒音が大きすぎて、耳を塞いでも入ってきてしまう。人々の焦りや不安、怒り、苦しみといった負の感情が渦巻いて私をがんじがらめにしようとしてくる。こういう時はそういった媒体に極力触れないようにと心がけていても、心の弱い私はちょっとした人間の機微に敏感で、すぐに絡め取られてしまうのだ。

しかも、季節は自律神経の大いに乱れる春。役所の手続きやら家のことやらで既に脳内がオーバーヒート気味であったのに加えてのこの情勢である。常人でも気が滅入るというのに、こんな私が耐えられるはずもなく、先日街中でちょっとした事をきっかけに往来で泣き出すという失態を犯した。その件で多大に妹に迷惑をかけてしまって、本当にすまなかったと思っている。

こんな時に創作活動へ没頭できれば良いのだが、あまりにもネガティブな力が働きすぎて何をするにも気力が足りない。日常生活がやっとというところだ。多少のストレスは創作のスパイスになるのだけれど、やはり劇物は毒にしかならない。

また最近になって隣家のテレビの音や生活音が気になって仕方が無くなってきた。神経がささくれだっている証拠だ。何か気を紛らわせられたら良いのだけれど……。

五条

雑多な日常を語ってみたり、空想を形にしてみたり。