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競争闘争理論 サッカーは競うべきか?闘うべきか?/Insight #2

鎌倉インターナショナルFC 河内一馬監督をお呼びして「競争闘争理論」について深掘りします。スポーツにおける”闘争”と”競争”とは?

闘争競争理論による分類では、サッカーは団体闘争に分類されます。なぜ、日本人は団体闘争に分類されるスポーツでは国際大会で結果を残せないのかを、競争闘争理論から考えます。


<登壇者紹介>

ゲスト 河内一馬氏
鎌倉インターナショナルFC監督 / NPO法人 love.fútbol Japan理事

ゲストコメンテーター 續木智彦
西南学院大学サッカー部監督

司会進行 和田タスク
前FC町田ゼルビアスタジアムDJ

タスク:2回目のゲストは、鎌倉インターナショナルFC監督・河内一馬さんです。
河内さんは監督をしながら「競争闘争理論」という書籍を出しました。

18歳で選手としてのキャリアを終えて、指導者に。早いですね、指導者の道へ行ったのは。アンダーの時はどこでやってたんですか。

河内:地元の小学校のサッカーチームからFC東京のユース、武蔵に入り、高校は実践学園でやってました。

そこから新潟の専門学校に行って、サッカーを外から見る楽しさを知ってしまい、19か20歳のときにはもうサッカーの監督になりたいと思うようになりました。

日本人は集まると戦いに弱い
@14:57


タスク:競争闘争理論の定義とは?

河内:20代の前半に、どうして日本はサッカーで世界に勝てないんだろうという疑問を持ち始めまして。そこに最新のトレーニング理論、戦術論などがヨーロッパから流れてくるようになったのですが、これを僕らが追求しても、そこに本質はない気がずっとしていて。そもそもサッカーって何だ?から考え始めようと思ったのがこの理論のきっかけで、日本人はスポーツの分類分けを間違えてる可能性があるぞというところから入った本ですね。

スポーツを本の中ではゲームと呼んで、ルールが定められていて、勝つことがそのゲームの目的であるのがひとつの定義なんですけど。

例えば「勝つことを目指さずにボールを蹴ることは、ゲームとしてのサッカーではない」と僕は言ってる。

遊ぶためにボールを蹴るのも当然素晴らしいことだが、分類をするためにゲームだと定義した上で、競って争うものと、闘って争うものがあるんじゃないかっていう発想をしている。

競争というものは、異なる時間や空間で、相手の競技者とプレーをする競技のことで、妨害を基本的に加えることができない、もしくはルール上許されてない。

闘争というのは逆に、相手の競技者と同じ時間、空間で競技をしているので、意図的に妨害を加えることができる、もしくはルール上で許されているということですね。

タスク:格闘技なんかがそうですね。

河内:まさに。闘争と競争は、従来、コンタクトスポーツと非コンタクトスポーツっていう形で分けられたと思うんですけど、勘違いを生んでしまうネーミングで。

闘争っていうのは、相手の体に触れなくても影響を与える、妨害を加えることができるってことですね。相手に影響を与える方法として、道具を介して行うもの、例えば野球、相手に打たれないようにボールを投げて妨害をしています。

もしくはネットスポーツ。テニスは相手に妨害を加え合ってるんですけど、その間には物理的なものがある。物を介して影響を与えるものを間接的な闘争と呼んでます。

日本ってスポーツがめちゃくちゃ優秀なんだけど「スポーツ大国でしょうか?」という質問をしたときに、僕らってサッカーの人間なんで「おや、全然勝ててないよね」って。

この分類で分けてみると、今のところきれいに団体闘争の競技だけ世界のトップを争うことができてない

タスク:最近で言えば、野球、優勝しましたね。個人においては、ボクシングも世界チャンピオンが出たり、水泳も世界大会で活躍するようになってきてる。さらに陸上なんか、厳しいと言われてた中でも。

河内:100mリレーで世界でメダル取ったり。今まで過去に世界のトップを争った経験がほとんどあるんですよね。

フィジカルの部分でも、小さいとか弱いとかが関係ない競技でも、優勝してたり負けてたりする。ボディコンタクトスポーツが強い弱いっていう分け方はできないなという感じですね。

タスク:日本ではサッカーやバスケットボール、直接影響される団体闘争では結果が出てないんだけれども、選手個人で見たときに、世界では三苫選手や久保選手らが出てきてる。

河内:そこがすごく興味深いところで、個人の闘争って日本人はすごく強いんですよ。外国のビッグクラブで日本人が活躍するということと、ワールドカップで日本人が集まったときに活躍できないっていうのは、非常に興味深くてですね。

日本人は集まると戦いに弱いというのは一つの結論だと思います。

ネイティブではないのだから、サッカーというものを構造的に理解できる余地がある
@21:41


タスク:集まったら何で弱いんだと思われますか?

河内:競争的なチームワークと闘争的なチームワークってのは別だと僕は主張してまして。日本の社会でみんなで協力をしましょうという発想は競争的なチームワークを築く。

しかし、ヨーロッパの人や諸外国は、基本的に闘争的なチームワークなんですよね。何が違うかっていうと、競争的なチームワークは、相手競技者から影響を与えられることがない。ひとりひとりのベストを尽くして、チームで結果を残しましょうってのが、競争的なチームワークです。

震災のとき、交通機関の行列がすごくきれいに整っていて誰も取り乱さない。あんな有事の際なのに、誰もルールを破らずに列をきれいに作っている。外国から、これは素晴らしいチームワークだと言われた。

しかし、果たしてチームワークが強いといえるのかどうか。アルゼンチンは絶対に行列なんて作れないし、取り乱す人がたくさん出てくるんですけど、じゃあ日本人とアルゼンチン人が何かを求めて戦ったときに強いのはどっちかっていう話で、それがサッカーの強い弱いに関係してるんじゃないか。

タスク:そこがタイトルにもなってる競争闘争理論なんじゃないか。つまり、競争闘争理論は考え方であって、メソッドとか魔法のトレーニングではなくて、サッカーそのものの前提を捉え直そうというところに持ってこれるわけですね。

河内:サッカーを作った人たちが一切気にしない領域ですよね。逆に外からサッカーを見られる、ネイティブではないと僕は表現してるんですけど、例えば英語ネイティブの人は文法構造を理解しなくても英語を駆使できるけど、英語ネイティブじゃない人は文法から覚えなければいけない。

それによって、ネイティブの人よりも英語を教えるのがうまい日本人ってのがいるわけですよ。それが僕らにとってはすごく重要な視点で、ネイティブではないのだから、サッカーというものを構造的に理解できる余地がある

他者に影響を与えて、同じ方向を向かせる
@36:44


タスク:われわれはもしかしたら闘争を競争と捉えてるんじゃないか。じゃあアルゼンチンの選手たちは闘争というものを、どうゲームで出してるのか、捉えてるのかを聞きたいなと思います。

河内:ワールドカップを見て「アルゼンチン人闘ってるな」ってみんな思うと思うんですよ。

サッカーの現場だと、指導者が「闘ってないな」って思ったとしても、そこにロジックをつけられないことによって、戦術の話や、技術的な話になってしまったり、選手には「なんだよ精神論かよ」って受け取られてしまう。そこのエラーがもったいないんですよね。

アルゼンチン人は、日本人にはけんかをしているように見える状況でも、とにかくチームメイトに対して影響を与えようとしている。もしくは監督、ベンチ、審判、サポーターなどの第三者に影響を与えようとしている。そこが、われわれとアルゼンチンのチームワークの違いだと思います。

例えば、メッシと監督の関係性って、日本人の監督と選手の関係性とは違うんですよね。お互いに影響を与えようとしていて、どっちが上とか下とかなく、関係性を築いてる。

日本人だと、監督は選手に影響を与えようとするんだけど、選手が監督に影響を与えようとしない。つまり、僕の言葉で言うと競争的なんですよね、すごく。

団体闘争の場合は、選手同士で、あるいは選手と監督、審判、観客、どうやって影響を与えるかっていったら感情を表出させるしかないんですね。外国人の選手は自然と感情豊かにコミュニケーションしている。

日本では、スポーツマンシップとして感情を出さない方がいいというキライがあるんですけど。

外国人の選手を見ていると、仲間が悪質なファウルをされたときにすごく怒っていて、審判や相手チームに影響を与えている。サッカーの場合、言葉で伝える時間がないんで、危険だと思ったら危険だっていう表情をするしかないというか、感情を出すしかないというか。

タスク:河内さんは、鎌倉インターナショナルFCで、どういった感情の共有のトレーニングをされてますか。

河内:僕がすごく大事にしてるのは、他者に影響を与えるっていうこと。
自分の意見を言うのが、闘争的なチームワークを築く上で大切だと思っていて。他者に影響を与えて、同じ方向を向かせることで、ときにはそこに衝突が発生しなければいけないと。

タスク:しなければいけないのか。

河内:それが闘争だと思います。全員が最初から同じ意見を持っているってありえないので、必ず意見はぶつかるし、そこはぶつけてくれと。監督にぶつけて、練習中ももめていいと言ってます。何も誰も意見を言わない状態よりは、危険な状態の方が好ましいと言ってたり。

あとは、テーマをいろいろ設定してディスカッションする時間を取ってます。例えば、スアレスがワールドカップのときにハンドをして失点を防ぎ、それによってチームが勝ちました、あなたは嬉しいですか嬉しくないですか、みたいな質問をしてディスカッションしたり、君はそれができるかできないかっていう話をしたり。

ウルグアイではスアレスのプレーが称賛されて、日本では汚いものだとされた。もしかしたらウルグアイの人たちは、いくら世界中から汚いと言われようが、勝ったから嬉しいとか、それが闘ってるということなのかもしれないね、みたいな話をしましたね。

タスク:どうやって選手に落とし込むんですか。

河内:結論は出さなかったですね。そのテーマは極端な哲学というか、正解がないが勝利を目指した結果起こした行動なのであれば、僕は尊重するというスタンスですね。

強く言ってしまう人を否定しない
@41:17


タスク:ディスカッションする中で、感情も高ぶって怖い言い方もされる場合もあると思いますが、そういうときはどうしてるんすか。

河内:主張が強い選手と弱い選手がいたり、能力や年齢の差があるので、どっちかが言う言われるの関係性になってしまいがち。そこは難しいが気をつけなければいけないところ。

大事にしてるのは、強く言ってしまう人を否定しない、練習中に取り乱してしまう選手を否定せずに、守ってあげる。勝ちたい、チームに影響を与えたい気持ちでこうなっていると、みんなの前で言いますね。

もちろん、強く言ってしまうのはよくないと見えるかもしれないけれども、全否定すると、エネルギーを納めるしかなくなってしまうからやめようと。

それをチームで共有できれば、言われる選手も割り切れたりとか。最低限そこのケアはしてる感じですね。

タスク:「同じ日本人の中では、団体闘争の種目をやってる人の方が、闘争的なチームワークが身に付いているものなのでしょうか?社会的には競争的なチームワークでもいいとお考えでしょうか」という質問をいただきました。

河内:ビジネスでも、他者を邪魔する必要がない競争と、競合他社とチーム一丸で戦うこと、時と場合で使い分けるのが大事な気はしますよね。
それこそ震災が起きたときに、列を作ってルールを守るチームワークは素晴らしいものだと思うんで。時と場合による。

タスク:「日本での育成年代での闘争に対しての取り組みというのはどうお考えでしょうか」と質問いただきました。

河内:この理論を前提にサッカーをしていくんだって思ったら、育成年代からアプローチをするのがもちろんいいと思う。感情表現を豊かにすることや、コミュニケーションがないとサッカーは成長しないんだと伝えていったり。

大事なのは、感情を出すのがマイナスに働いてしまう子供がいて、僕たち大人はその感情を抑えようとしてしまうんだけど、そうじゃなくて。

感情をMAXにするスピードと、一番下まで持ってくるスピードが速い方がいいんですよサッカーって。さっきまでめちゃくちゃ怒ってたのに、今めちゃくちゃ喜んでる、今冷静にコーチング飛ばしてる、が大事で。

90分間ずっと感情を表出させ続けることがプレーを生み出すきっかけなので、感情は出してもいいけど元に戻す術を学べっていう伝え方をした方がいい。

タスク:理論的に大人が理解しておければ、感情を出す選手に対しても、良いパフォーマンスを良いゲームの中でコントロールできるようになるかもしれないですね。


次回の案内と「The Blue Print」のお知らせ

タスク:次回インサイトは6月2日金曜日の8時から、僕と續木先生で今日の続きをさらに深掘りしたいなと第3回インサイトを設定させていただきました。河内監督も来ていただくかもしれないです。ぜひ皆様楽しみに、参加いただければなと思います。

また、「The Blue Print(ブループリント)」というオンラインコミュニティをFacebookグループの方で持っています。意見交換ができるようになってますので、ぜひご活用ください。

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