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何故、自然を育みたいのか。

海を眺める柑橘園の実現に向け、農業系資格取得や柑橘農園さんにお手伝いに行ったりと少しずつ助走を始めている柑橘園の弟子です🍊

海の写真家として2020年から活動し、早2年目になります。今年の2月には様々な方のご協力で、コロナ禍でも初の写真展『This is My Field』を開催することができ、実りのある2021年になりました。

海の写真家の私が何故、自然を育む人になりたいと考えるようになったのか。今回はそのきっかけや自然に対する想いを書いていこうと思います。


『海と関わりながら自然を育む人でありたい』

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はじめに、私が人生のテーマにしていることを書いていきます。

私はこの世に生まれて今年で27歳になる双子座です。海外文化に親しいためか、血液型よりもゾディアックサインの方をよく信じます。自分で言うのもなんですが、『THE 双子座』のような人間だと自他ともに感じています(笑)。

言葉や自由(風の星)を愛し、何かに縛られることを嫌い、自分のもう一つの片割れを探す旅(双子の片割れを探す)を人生を通し行うのが双子座として生まれる人の特徴なんだとか。

事実、私は常に『人生のテーマ』を考えて生きてきたように振り返ると思います。恐らく、双子座の特性の『自分のもう一つの片割れを探す』なんだと思います。

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27年間、いつも双子の片割れを探して生きてきて今、『あ、私の片割れ、見つけた。』そう心にストンと降りてきました。それは安心感のような、安らぎのような、とにかくこのテーマを考えると『心地よい』という気持ちになるものでした。

海と関わりながら自然を育む人でありたい。

寿命が尽きるその日まで、このテーマを貫き通せたらどれほど幸せな生き方だろうかと、想像しただけで幸せになります。

想像しただけで安らぎや幸福感を感じられるテーマ、私にとっては、それがこの『海と関わりながら自然を育む人でありたい。』だったんです。

海の写真家として海の優しい表情を撮り続け、緑を育み自然に命をお返しする生き方が一番私らしい。

これまでなかなかハードな人生、普通とはだいぶ外れた人生を歩んできたからこそたどり着いた私の片割れ。絶対に手放したくないと心から思います。

自然に命をお返しする人として生きたい

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人生のテーマをご紹介したところで、次に何故自然を育みたいと思ったのかというきっかけについて3つご紹介します。

海の写真家として活動してきて、何故自然を育てたいという結論に至るのか。それは、私たちは自然に生かされている、自然からたくさんの恩恵をもらっているのに、私たちは自然を壊し、恩を仇で返すような醜い生活が当たり前になっていることに写真活動を通して気が付いたからです。

私は魚たちが生き生きと泳ぎ、青く光が注ぐような海が大好きです。海の透明感や無限大の優しさに魅かれ、海をテーマに写真を撮ろうと思ったから、毎晩遅くまでバリバリ働く会社員という生き方を辞めて表現の道に進んだほどです。

そんな海が、どんどん汚されていく現状を頻繁に海で目にすることで、日に日に心が弱っていきました。決して自分が汚されているわけではないはずなのに、自分ごとのように感じる日々が続きました。

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『海や自然が汚れている現状を写真で伝えるだけで、私は満足なのか?』『このまま何も行動を起こさなかったら、私の大好きな綺麗な海はもうなくなってしまうかもしれない』

海や自然を守るにはどうしたらいいのか?

まず始めに行きついたのは、ビーチクリーンヴィーガンになることでした。

しかし、この二つは私の中では最適解ではありませんでした。

ビーチクリーンに関しては他記事で紹介していますが、あくまでもビーチクリーンは教育、ごみを適切に処理するという精神を育む活動で、とてもいい教育活動です。しかし、ビーチクリーンをしたからと言って、またどんどんごみが海に流れいたちごっこです。人が地球に生きている限り、このいたちごっこはずっと続いていくだろうと、『KEEP THE BEACH CLEAN@鎌倉』に2年間参加して思いました。ごみを拾う人あれば、それと同じくらい、捨てる人がいる。いたちごっこの活動に、希望は見えませんでした。

それではヴィーガンになるという選択肢はどうなのか??Netflixを日頃からよく見ているのですが、あるドキュメンタリー作品が訴える事実に驚愕しました。

人間が動物性食品や製品を消費し続けることが、プラスチック問題なんかよりずっと悪影響を自然に与えている。自然を心から守りたいと思うなら、ヴィーガンになるという選択が一番効果的なのだという結論の内容です。

作品の訴える数値や信憑性の高さから、確かにヴィーガンになるという選択が効果的だと思い、ヴィーガンになる方法をヴィーガンの知人や書籍などで調べてみました。

これまで使ってきた製品や食べ物が、動物たちの命によっていかに支えられてきたのかと衝撃を受けました。同時に、もっと大切にしないといけないなとも感じました。

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しかし、ヴィーガンになる方法でも、私にとっては最適解ではありませんでした。決して食事の制限が厳しそうだからとか、生活費がぐっとたかくなりそうという項目が理由ではありません。

ヴィーガンが最適解ではないと思った理由は、ヴィーガンになったとしても、他の生き物の命を奪わず生きていけない、それが私たち人間だという事実に気が付いたからです。

例えば、ヴィーガンの飼い主が飼うわんちゃんのごはん、お肉ですよね。ワンちゃんは元々肉食の生き物なので、飼い主の意向で無理やり草食に変えるのはなんだか虐待のようにも思います。『ワンちゃんの分はしょうがないからOK!』……そんなOKの解釈ありますか?(笑)そしてそれがOKだとしたら、そのお肉を生産している生産者さんはどう感じるでしょうか?

『動物が可哀そう、自然にとって良くないから牛は育てないで!でもうちにはワンちゃんがいるから、この子の分は育ててください!』

こんなワガママ、かっこ悪すぎるだろう……。聞いていてそう感じました。

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また、ある一定の食を否定することは、文化の否定にもなりうると感じました。例えばお寿司。お寿司は誰もが知る日本の文化ですよね。それをヴィーガンの思想で食べることをやめる、または否定することで、職人さんやお寿司文化を繋いできた人たちはどのように感じるでしょうか?時間をかけて極めて来た道を拒絶されるなんて、私がお寿司職人さんだったらやっぱり悲しいです。ヴィーガンは、考え方によっては人を分断するような危険な思想でもあるんだなと思いました。

ヴィーガンって聞こえはいいかもしれないけど、ただの自己満足に過ぎない思想なのかもと思います。ヴィーガンの人にも、それぞれ信念をもってヴィーガンを続ける方もいると思います。ただ私にとっては、これも最適解ではありませんでした。

命に感謝して生きる、そして命をお返しする。

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一体何が正解なのか、本当に分からなくなった時期があります。最適解が見つけられないまま海の写真家として活動し、日に日に自分の存在意義や仕事の意義を疑うようにもなっていきました。

そんな宙ぶらりんなある日、撮影帰りの自転車運転中に、ふと思ったんです。

『たくさんの命の犠牲の上で生きているってことを感謝しよう、そして緑を育てることで、犠牲になった命をお返しして生きていこう。』

突然こんな考えが降ってきたもので正直自分でも驚きでしたが、ビーチクリーンやヴィーガンになるという考えの時とは異なり、すんなりと納得できるものでした。

私たちが人として生きている以上、他の命をいただきながら生きていかなければならないんです。この事実は、この先もずっと変わらない事実なんだと思います。それならば、頂いた命にいっぱい感謝しよう。

命を与えてもらったなら、自然に命をお返しできることをしていきたい。緑を育てることで、自然に対して命をこれからは返していこう。

これが、私の最適解。

長々と書いてきましたが、海の写真家として活動してきた私が、海と関わりながら自然を育む人でありたいと思った一番の理由が、この『自然に命をお返しする人として生きたい』なんです。

残り2つの理由は、また次の回で書こうと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございます🍊海を眺める柑橘園を育てるまでまだまだ時間はかかりそうですが、一歩ずつ人生のテーマを実現していきたいと思います。

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ベルメールさん🍊
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