MOTHER2
当時、いとこのスーパーファミコンのカセットはプラスチックの衣装ケースに並べられていて、「まりお」や「どんきーこんぐ」とは一線を画す鮮烈な赤が印象に残った。
いとこと兄たちはとっくに「街」へ遊びに出てしまって、ひとり祖父母の家に残るわたしは次から次へとカセットを差し込んでは飽きることを繰り返していた。わたしはまだ幼かったし、説明書はなかったから、とにかく遊べそうなものを起動させてやってみるという地道な行為を繰り返していた。MOTHER2がわたしの手に握られたのは随分後になってからだったろう。パッケージの英語が読めなかったし、赤くて黒かったので、ホラーゲームかもしれないと思ったのだ。
起動してすぐ、「あれっ」とわたしは思った。オープニングの背景の色がかわいかったからだ。あめ玉とアイスのようなうすい緑と青の市松模様で、これはいけるかもしれないという謎の予感がわたしを導いた。
主人公の名前を入力する、ヒロインとおぼしき女の子の名前も、仲間になりそうな男の子の名前もその場で入力する。いいかもしれない、これ、と思いながら続けていくと、好きな食べ物を聞かれる。たべもの!!わたしは興奮を覚えつつ、それでもまだこのゲームに完全には心を開ききれずに「ハンバーグ」の初期設定のまま話を進める。
主人公は、パジャマのまま隕石を探しに行き、ママは「ハンバーグを食べてゆっくりおやすみ!」という(おそらく、「おこのみやき」にしたら「おこのみやきを食べてゆっくりおやすみ!」になったことだろうとわたしは思った)。敵は「からす」や「のらいぬ」で、しかも「しっぽを巻いてにげた」や「おとなしくなった」という表現で戦闘は終わる。町並みはかわいく、しかも「ななめ」に移動するのだ。わたしは夢中になった。これが、わたしの探していたゲームだと思った。お兄ちゃんたちがいなくてもできる。「まりお」と違って「あっ」と思ったときにはゲームオーバーしていることもない。
夕方過ぎ、兄たちが帰ってくれば、この楽しみは終わってしまう。わたしは晩ご飯を食べなくてはいけないし、兄たちは「まりお」をやらなくてはいけないからだ。そうして、わたしとMOTHER2に課せられた最大の試練は、そこがわたしの家ではなく祖父母の家だったことだ。わたしは毎日泣く泣くパパに電話をして電源を切り(セーブの代わりに、パパに電話をしてぼうけんのきろくをつけてもらうのである)、数週間後には後ろ髪引かれる思いで自宅に帰った。さめざめ。以降、幼い頃に幾度となく繰り返したMOTHER2は、だから、最初の街ばかりを行き来していた。
もう少し長じてから、自宅で最後までMOTHER2をクリアしたときのいい知れない感動をまだ覚えている。状態異常の「きのこ」は「病院」でも「ヒーラー」でも治せず、「ピクニック中の女の子」にとってもらわないと、上ボタンを押しても下に行ったり右に行ったりすること。新しい街に着くたびに、「写真家」が現れて写真を撮ること(そのとき、ちゃんと仲間の向きまで反映されること)。「オレナンカドーセ」「ジッパヒトカラゲ」「あれ」という敵。主人公の姿が豆粒ほどになることで表現される恐竜の世界。どせいさん。壮大なストーリー展開が当たり前のRPGのなかで、こんなにも日常的で、こんなにも非日常的なゲームがあること。わたしのたいせつななかまたち。エンディングまで泣くんじゃない。うっうっ。
オネットの街の地図を図書館に返していないことは、今も後悔している。