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【漫画制作裏話】全然見られない、評価ない、でも落ち込まずいられたのは

こんにちは、天知ハルカです。
今回は先日投稿した漫画

こちらの制作裏話を書いていきます。
前回、楽しい漫画を描くという目標が自分の狙いとズレていた事に気付き
今回は以前よりホラー色を強めに描きました。

以前は恋愛ものを描いてきた身において
恋愛からホラーは
かなり勇気のいる変更でした。

閲覧数、評価散々


結果的にいつもより凄惨な結果でした。
理由はいつも付けていた「創作BL]「恋愛」というタグを付けず
とっかかりがなかった事。

そして、読後感や伝えたい事が
漫画としての描き方にのっとっておらず
あいまいではっきり「かっこいい」「かわいい」という
感想を持てないのが原因かなと推測しています。

以前からずっと私の漫画は
「これは漫画じゃない」
「よく分からない」
というような講評ばかり受け取りがちでした。

しかし妙なもので
漫画の作り方を学んだり
知識をそのまま使って描いた事がありましたが
それでも何か物足りなさを感じて…

そう言った経緯もあり、今はそれでも自分の表現方法を試す為
あえてこの描き方をしています。

一人きり、八方塞がり


投稿した場所は
このnote、pixiv、X(旧twitter)など。
web上で見て貰い、その反応を見る事が
今の私の唯一の評価の物差しになっています。

しかしそれがこのような結果になり
かつ、普段もそんな測れるような数字ではない事が続くと
だんだん自分のやっている事に不信感が募ったり
単純に「この作品はダメなんだ、自分は描く才能がないんだ」という
具体的な理由もなくそんな完結しかできなくなります。

そのうえで次回はどんなものを描けばいいのか?と
気付けば人の好むのはどんな作品だろう、
ジャンルだろう、読後感だろう?と
簡単な方へ傾いていってしまいます。

でもそれは今までやってきて失敗して
それが嫌で新しく始めたのに
同じ道を歩むじゃないかと
少し立ち止まって、考える事にしました。

評価の物差し


世の中に創作されている人はたくさんいて
それを発表して、認められたり認められなかったり
見てもらえたり、見て貰えなかったりと
そうした評価で一喜一憂する事も
自分のようにあるのかな…?と思ったりします。

今回の漫画で私がやった事は
web以外に
「近い人間に見せる」でした。

私の場合、母親に見せました。

母は私の漫画家の夢を長年応援してくれて
思い返せば私が漫画を好きになったのも
私がサブカルや耽美なものが好きになったのも
母の影響が大きくあります。

そんな信頼できる身近な人に
駄目で元々と漫画を見せて
とにかく読んでくれている様子だけでも見れる事で
「自分は漫画を描いた」という気持ちを得られたらと。
そう思ったのが理由です。

母は私の漫画を何度も眺め
そして感想をくれました。

それがとても嬉しかった。

まとめ


誰にも見て貰えないものを描くというのは
なぜか、自分のやってる事が意味のないような気がしたり
好きな漫画を描く自体が虚しく感じてしまう…

好きなものを描いても
それがダメかのような気分に陥ったりしてしまう…

でも思い返せば
web上の閲覧数や評価(いいねなど)とはいったい何なのだろう?
いただけば有難い事だけど
それにそこまで悲しんだりする必要はあるんだろうか?
描きたい嗜好を変えたり
次描くものすら分からなくなったりするまで…

たった一人でも母に実際に見て貰えて
得た嬉しいという気持ちは
web上の数字にすがってにらむ日々とは全く違う心持ちでした。

どうしよう、という想いは
今回こうした身近な人に見せる事で
前向きに次に向かえるようになりました。

根本的にweb上の評価は例えば数字は
いったい私にどんな意味をもたらし、私は何が本当に欲しいのか?
そこをよく考えていきたいと思いました。


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