嘆き
ああ、やっぱりだめか。
火曜日更新するという宣言をしたにも関わらず、
次の週の火曜日にはそんなこと忘れてしまっていた。
というか、火曜日だということに
noteを更新しなきゃいけない事実に、
気づかないふりをしていた。
でも水曜日になってしまえば、
サボったことに対する罪悪感が生まれてしまった。
そんなものが生まれるのなら、
最初から更新すれば、よかったなぁ、。
けれど、
最初にnoteを書いてから2週間も期間が空いたからこそ、
たくさんの出来事があった。
ありすぎた。
自分が誰かの人生を乗っ取っているんじゃないかと思ってしまうくらい、
今までの自分とは絶対無縁だった出来事が
次から次へと起こる。
正直疲れている。
でもそんな毎日に翻弄されてる自分も新鮮で、
ちょっと応援したくなる。
そして、なんといっても
親の偉大さに改めて気付かされた2週間だった。
生まれてから今までずっと一緒にいるから、
嫌なとこばかり目に付いてしまって
イライラしてしまうことの方が多いけれど、
いざと言う時に、
母親の、自らの経験から生まれた助言は
とてつもなく説得力があって、
理屈は理解できなくともなんとなく腑に落ちてしまう。
多分物事をいち早く解決したい時には
友達に相談するよりも
母親に相談した方が早いのかなと初めて思えた。
“ 相談 “ で思い出した、
ほぼ愚痴、いや全部愚痴だけど
どこにも吐けないのでここで吐かせて欲しい。
相談において
想像だけで助言をすることは悪いことじゃない。
経験したことがないから、
その子の気持ちになって想像して、
一生懸命考えて、
寄り添おうとしてくれる。
それはとっても素敵なことだと思うし、
そこまで寄り添ってくれる友達にとてつもないほど救われるし、これからも大切にしなきゃいけないと思う。
けれど、
私の気持ちには一切なろうとせず、全部想像で、
助言にもならない突き放す言葉をマシンガンで伝えてくる人なんなん?って叫びたい。
(しかもそういう人に限って、その人から「なんでも聞くよ、聞かせて」と相談してほしいと言ってくる)
そんな人からの助言を真に受けなければいい話なのだけど、
友達の困っている話を聞きたいのではなくて
ただ人に上からものを言いたかっただけなんだろうな、
結局、友達の相談に乗ってあげられて、鋭い意見を伝えることができるジブンが好き、
に過ぎないんだろうな
と、ちょっとショックだった。
口調が強くなってしまってごめん🥺の後付けなんて意味を為してなくて、謝られても今更おそい。
最初からやさしく伝えようとする気が無いのが
分かるから。
そういうことを経験すると、
相談する人を選ぼうと思うし、
やっぱり、最終的に1番味方になってくれて
欲しい時に欲しい言葉をくれるのは
母親なんだなあと実感している。
全体的に愚痴っぽくなってしまって
申し訳ないのだけれど、
一ヶ月後、二ヶ月後、
これを見返した私が、
あーなんかこの時の自分よりかは
少し器おっきくなったわって思えるように
今の自分の未熟な部分も綴っていこうと思う。
自分の器の小ささと情けなさに、呆れる日々である。
ここまで書いて投稿したつもりだったのに、
下書きだけで終わってしまっていた。
結局更新したのは水曜日。
来週こそはきちんと火曜日に。
おやすみなさい。
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