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海が欲しい

 もうすぐ、祖母が死ぬらしい。コロナが流行って外に出るのを禁止されてから、彼女は急激に衰えた。ボケが始まり、しまいには癌ができた。外に出なくなったからできたのか、たまたまできたのか、原因はわからない。意思疎通も難しくなり、今ではもう自分で思うように体を動かせない。何かを要求するときは重たい足をなんとか動かして、床をどんどんと叩いて僕らを呼ぶ。
 小学生の夏休み、プールへ連れて行ってくれたり、絵本に出てくるような朝ごはんを作ってくれたりした祖母。男まさりで、ちょっと動作が荒い祖母。一緒にレモンメレンゲパイを作っているとき、イケアのピンク色のプラスチックスプーンを、僕の目の前を横切るように流し台へ投げ飛ばした祖母。出かけるのが好きだった祖母。今ではそんな面影が一切無い。あの時の記憶が信じられないくらいに衰弱しきっている。まるで別人だ。文字通り。比喩でもなんでもなく。ある時親戚で集まった時、祖母はみんなから少し離れた僕と母に聞いた。「あの男の子は誰だっけ」と。あれは従兄弟だと教えてやった。忘れちゃうよね、だってものすごく大人っぽくなって、髪の毛の色まで変わって、僕だって街中で見かけても全然気づかないくらいだよ。そんなふうに本当のことを交えて慰めてやった。彼女は自分の記憶が虫喰いになっていることを自覚していて、でも親戚の中に混じっている謎の男の子を傷付けまいと、誰だかわかっている人に聞きに来た。優しい人だ。
 彼女は遊びに来た僕たちが帰ろうとすると、目から水を絞り出すようにめそめそと泣くようになった。祖父は何もできない自分がもどかしいのだろうと言っていた。体が思うように動かない。もうみんなとは会えなくなるかもしれない。いろんな感情が渦巻いているのだろう。
 僕は思いの外、こんな状態になってしまった彼女を可哀想だとか、もうすぐ一生会えなくなる彼女に対する寂しさとかを感じたりしていないようだ。それは記憶の中の好きな祖母と、今の祖母があまりなもかけ離れていて、同じ人だと思えないからか。もう楽にさせてやってあげたら、という気持ちが大きいからか。それとも。醜くなってしまった彼女を最後まで見届けられるような勇気と慈愛の心が僕には無いからか。

 Rと夜遊びをするから夜には帰らないと伝えた。祖母に何かあっても駆けつけられるかはわからない。母は「いいのよ、Allenの今の時間が大切なんだから」と言った。母は自覚のない嫌味皮肉人間だが、これは心からの素直な気持ちだろう。
 Rと夜中の喫茶店で話していた時、彼女に言われて気づいたことがある。僕は僕の体がここにあるのに、自分の身に起きたことをまるで他人の身に起きたことのようにしている。僕が感じたことや思ったことを「僕はこう思っているようだ」と観察している。観察している僕が本物の僕だとして、体を動かしている僕は一体誰なのだろう?

 Uは僕を『怪獣のバラード』に喩える。僕はこれを気に入っている。歌詞を読んで、心底納得したからだ。よく見ているな、と思った。

 今、僕の周りの多くは、恋人や結婚のことで一喜一憂している。僕には縁がない話題だ。兄さんが結婚した時も、家族や周りが川の向こう岸で喜んでいるみたいだった。僕以外のみんなが、晴れやかなオレンジ色の光の下で賑やかにしている。
 祖母が亡くなりそうだという時も、周りはバダバタしていて、僕は独りでぼんやりしている。

 僕の中で愛というものは死と結びついてる。切っても切り離せないものだ。それはそうか、なんだって終わりがあるのだから、結びついていても変じゃないし、むしろ自然な事だ。 

 父と母が、互いに純粋な好きという気持ちを持って結婚したわけではないと気付いたのは、小学5年か小学6年の頃で、たしか小学5年の方だったように思う。ショックな出来事だったせいかわからないが、細かな時期を忘れてしまった。あの辺りの記憶は朧げだ。その出来事だけが切り取られたように今でも僕の頭に残っている。強いトラウマは忘れるらしいが、僕の脳みそは変に強いので結構ちゃんと覚えている。
 ある夜のことだ。僕は昔から眠りが浅い体質で、夢を毎日見てそれを覚えていたし、小さな物音でも目が覚める方だ。そのせいか、僕はリビングから響く言い合いする声に目を覚ました。

「私もセックスするの嫌だし」
「じゃあもう出てって。Allenと○○(兄)は私が連れて行くから実家に帰ったら?」
「どうせまたやったあとにポイッて捨てるんでしょ?」

とかなんとかそんなことを言っているのが聞こえた。とにかく怖かった。父は「いやだから……」「そうじゃなくて……」と歯切れ悪く答えていた。具体的な内容はもう忘れた。
 恐ろしかった。泣きながら助けて助けてと言った。僕は当時好きだったキャラクターに助けてとも言っていた笑。今すぐに眠ってしまいたいと思って目を閉じようとしたけど無理だった。廊下を挟んで隣の部屋で眠っていた兄は多分そのまま寝ていて気づいていないだろう。僕の部屋は扉が開いていて、廊下の途中の扉も空いていたので丸聞こえだった。リビングまでは遠くない。
 この一件より前だったか後だったか忘れたが、こんなこともあった。僕が熱を出して、リビングの床で這いつくばっている時だ。僕の部屋の方からくすくすと密かな笑い声がした。
「Allenがいるから?」
 なんだろうなと顔を上げて廊下の方を見ると、僕の部屋から男女が抱擁しながら摺り足でススス、と出てきた。手を繋いでいるところも、中の良さそうなところも一切見せてこなかった二人が、抱き合っている。僕に見せつけるようにして、廊下に立っている。でも僕は、辛うじて「なにやってんの」と、ちょっと苦笑して言った。優しく笑ってあげた。気持ち悪いと言ったら可哀想だと思ったから。この後の記憶はぱったりない。どうやってその場を凌いだか、その後どうなったか全く覚えてない。
 この件は夜の喧嘩の直後あたりだったと思うが、「Allenはもし離婚するってなったら、どちらについて行きたい?」というようなことも聞かれたことがあった。(苗字が変わったら嫌か聞かれたのだったか、忘れた。僕が苗字が変わるのが嫌だと答えたかもしれない)。とにかくこの時期は、僕の家庭は終わるかもしれないという不安に苛まれていた。
 この家の真相や秘密のようなものに僕は薄らと気付いていた。この一家で僕だけ知っている。
 僕はあの件の次の日、学校ではなるべくいつも通り振る舞うように努めていた。気がする。当時の僕もそれなりの年頃で、周りと同じように誰が好きかとか見た目に関する興味もあったけれど、あれを境に、暫くは拒否するようになった。「男女の恋愛は気持ちが悪い」という考えが根付いた。父さんと母さんが暫く大嫌いになった。

 そういえばこんな記憶もある。母がわんわん泣きながら、二段ベッドの下の段に突っ伏して、「Allenのほうが好きなんでしょ!」と叫んでいる。父親は否定して宥めようとしていた気がする。僕はクマのぬいぐるみを抱き抱えて、テーブルの下で三角座りしている。これの記憶の不思議なところは、僕が僕をみているということだ。母にこんなことがあったはずだと一度聞いたことが確かあったが、そんなことはないと否定された気がする。もしかしたら、この記憶に関しては本当に夢だったかもしれない。僕はたまに夢の記憶と現実の記憶が混ざりかけることがある。

 僕は親を神聖視しすぎた。僕と兄が存在しているという時点で、それはあり得ないのに、どうして気付かなかったんだろう?
 母は"そういったもの"から僕を遠ざけようとしていたように思う。パソコンなど外部から情報を得られるツールを触らせるときは、「へんなもの見ないでね?」とよく言った。へんなもの。直接的な表現は避け、遠回しに言う。僕はそれを察してあげる。僕もそういうものを見たことがないわけじゃないし、調べたこともあるけれど、今じゃ少し見たとしても急に興味が冷めて、こういうものの何がいいんだろう、というような感覚になってしまう。

 あらゆる言葉の端々や言われた内容で、僕は母が父を特別好きでもないということに気付いた。妥協しているということがわかった。おそらく見合い結婚だ。世間体、ステータス、子供を持つという幸せ(?)のために僕たちを産んだように思える。僕と兄さんのことは確かに好きみたいだが、それは純粋な気持ちだけじゃないみたいだ。
 つまるところ。僕は人間と人間が愛し合った結果生まれてきたわけじゃないと言える。僕は存在を否定された気分になったのかもしれない。こんな見た目の、コンプレックスだらけの生き物として、愛故ではなく、道具として誕生してしまったんだ。直接的な繋がりのある親にそんな扱われかたをしたら、不利を持って生まれてきた意味が無いじゃないか。

 僕と仲の良い人間や、僕に好きだと気持ちを伝えてきた人間の、弱い部分や傷つけられた話を聞くことができないのはこの件が関係しているはずだ。自ら進んで面白い話になるような出来事に遭遇したのなら構わないけれど、不本意に傷つけられたことや、(どんな些細なことでも)性的な被害といえるようなことを受けたエピソードは本当に気持ちが悪い。触られた、ホテルに連れて行かれそうになった。よくあるそういう話でさえも。場合によっては話を聞かせてきたその人自身を嫌いになりかけることもある。僕を好きだと言ってきた人間にそういう話をされて、僕は道端で人の目があるにも関わらず激怒したことすらある。苛烈に怒り、自分でもどうしようないくらいに怒り狂う。その人にとってはもう笑い飛ばせるくらいの話でも、僕にとっては違う。僕の頭に勝手にその話の種が植え付けられて、それがヴィジョンとして浮かび上がり、時間が経っても思い浮かんでしまうようになる。想像した光景が何度も何度も繰り返される。それが苦しい。
 強い人間の方が好きだ。そういうことをされてもすぐに返り討ちにしてしまえるくらいの。僕が助ける必要なんてないくらい、やり返せる奴。まぁ、そういう状況になってる時点で、もう嫌なのだけど。
 僕には無償の愛情というものが足りなかったのかもしれない。そういう愛情は基本的に母親から受け取るものであるらしい。でも、僕はそれが不足しているので、周りの人間に求めてしまうのかもしれない。強くて安心できる人、無償の愛情をくれる人。それが母親ではなかったから、周りの誰かから探す。それを無意識にやるので、周りに勝手に期待をして、勝手に「気持ち悪い話をされた」「こいつは弱い、だめだ」なんて思うのかもしれない。事実、試し行為なんかを繰り返してしまうのもそうだ。どこまで僕を許してくれるかと試してしまう。

 母はリビングで電話をする。会話の内容から、祖母の状態がどうなっているのかを推測することができる。「尿管を入れる時、痛い痛いって言うか、あぁ〜、あぁ〜!とかって言うのよねぇ」と笑いながら話す。多分、母なりの自己防衛なんだろうが、僕は気色悪いなという感想が出てくる。そういうふうに話す母にも。
 笑いは相手への攻撃だということが、ロバート・A・ハインラインの『異性の客』で描かれていた。僕は攻撃は防衛の裏返しのようなものだと考える。相手がわからないとき、理解できない時、怖くて先手を打つ。だから、母も祖母の死に対する恐怖や、醜い姿を晒している光景への拒否感に打ち勝つために、笑っているのかな。

 2024年12月8日、月の沙漠記念公園というところへ行った。僕は一人で遠出をすることがほとんどなかったので、挑戦してみたくなった。なんとなく海が見たいと思った。千葉のどこかならいけるだろうと思って調べていたら、『月の沙漠記念公園』だなんてよさそうな名前のところが出てきた。

 12月だというのに、砂浜は暖かかった。太陽の光が燦々と降り注いでいて、丁度良かった。電車に乗っている時に扉からの隙間風の方がよっぽど寒かった。サーファーも何人かいたし、ウェディングフォトを撮っている人達もいた。白鷺がぽつんと独り水の中に立っているのが印象的だった。知らないお爺さんに声をかけられて写真を撮ってあげたり話したりして、ちょっと仲良くなった。砂浜というものに久し振りに触れた。意外と歩きづらかった。水を含んだ砂浜はダイラタンシーみたいで、意外と足がもたついた。海はそこまで冷たくなかった。
 美しかった。海が欲しい。海を閉じ込めたシルバーの指輪が欲しいと、ほんの少しだけ思った。細い指輪じゃなくて、けっこう幅があるタイプの。シルバーと海色のやつだ。海が愛だとするならこれは婚約指輪っていう比喩にもとれるかもしれないけれど、そうじゃない。僕は文字通り海が欲しい。
 海を見ていて、こういうところで死ぬのも悪くなさそうだと思った。でも沈むのは苦しそうだし、飛び降りる勇気もない。海辺で僕の気付かないうちに撃ち殺してもらって、そのまま波に攫われるというのも良さそうだな。死んだら、海に骨を蒔いてもらおうかな。

 祖母は死んだら京都の寺に入るのだと僕に話してくれた。みんなで食事を摂ったとき、その店の窓から墓が見えた。あそこだ、と言われた。祖母の家族がそこにいるらしい。そして僕の母も、死んだらそこに入れるように僕に言った。でも、祖父は祖母がそこに入ることを望んでいないらしく、祖父は今住んでいるところの近くに墓を建てるつもりのようだ。僕たちが気軽に来れる距離の方がいいだろうということらしい。僕は祖父を尊敬しているし、とても好きだが、こればかりは祖母の願いを聞いてやってあげても良いのじゃないかと思った。母も同意見だったようだが、彼女は「でもこうなってしまったらもう、あとは生きてる人の意見が優先だからね」と言った。まぁ、そうなのかもしれない。ファイナルファンタジーVIIIのスコールがライバルのサイファーが死んだという報告を受けて、皆が口々好き勝手言うなか、彼は「過去形で好き勝手言われるのか?」「俺は過去形にされるのはごめんなからな」というようなことを言っていたのを思い出す。僕も嫌だけど、死んだら知る由もないな。

 母は子供の僕に、母自身が倒れたときや動けなくなった時の対処法を教えたりした。実際に彼女が倒れて、僕が手を引っ張って起こしてやるというちょっとした訓練も何回かした。だから、何か死が近い出来事があると、僕は妙に、一歩引いて見てしまう気がする。
 クラスメイトが1人亡くなった時、母はすぐに冷静になった僕に「それほどAllenはその子と仲良くなかったってことなのよ」と言った。

 遠くない葬式で、僕は泣けるかな。完全に息を引き取った祖母だったそれを見て、僕はどうなるかな。

 一人でカフェやファストフード店に(なんとか)入れるようになった。好きだという理由でその日に同じものを2つ頼めるようになった。注文した料理を残すという選択ができるようになった。作ったコーヒーや買ったお茶を途中で捨てることができるようになった。訳もなくその辺をうろつくことができるようになった。僕は変わってきているらしい。

 僕は今、チェーン店のカフェで一人で珈琲を飲んでいる。なんてことない普通のお店。これで注文方法は合っているのかと不安になりスマホで検索して、手の動かし方、足の置く場所はこれで正しいのかとびくびくしながらぎこちなく座っている。
 ここから祖母の家まではそう遠くない。午前中に紅茶を買いに行って、その後に寄ろうかと思ったけれど、僕は結局そうしなかった。できなかったというよりも、しなかったと言ったほうが正直で良いだろう。一昨日夜通し遊んだので疲れていたというのもあるが、僕はやろうと思えばできたことをしなかった。やらない後悔よりやって後悔派だけど、今はもう見ていられないって気持ちなのかもしれない。ごめんなさい、僕は酷い奴だ。でも半分、その選択ができた僕は、自分を大切にできて偉いとも思っている。こういう考えができるようになったのも、変わってきた部分かもしれない。

 僕は将来どうなっているかな。こんなことをつらつら書いてはいるけど、誰かを好きになるかもしれないし、結婚しているかもしれないな。どうかな。

 僕は病気になったり事故に遭ったりして、無様な姿(物理的なとんでもない姿)を晒してまで生きたいとは思わない。あれこれ管に繋がれたりして、醜いまま生きるなんて耐えられない。でもそういうのを見せられる相手がいるっていうのはすごいことだ。支えてくれる家族がいるのは祖母が努力した結果だ。

 愛情はすごいよな。本気で相手を好きになれば、穢い部分や本来秘匿すべきところも見せられるらしい。むしろ見たいって思う人もいるらしい。僕は見たいと思わないしむしろ不潔とさえ思う。手を繋ぐくらいなら良いけれど、体に触れたいとはこれっぽっちも思わない。
 僕は母さんの笑っている声がそんなに好きじゃない。なぜかと言うと、あの廊下で見た時のような声を思い出すからだ。馬鹿みたいに笑っている姿や引き笑いする姿が、別の生き物みたいで好きじゃない。つまり、女の声ってことだ。気持ち悪いんだよな。
 この前電話をしながら泣いているような声が聞こえたけど(おそらく祖母の生命維持を断つかどうかの話だ)、これはそれとなく聞き流すことができた。

 ようやく暈さずに、細かく書くことができた。ようやく。なぜ今書くことができたのだろうと思う。祖母が死ぬからかな。連鎖の根本の一部が消えるからかな。キリが良かったんだ。

 今年も海を見に行こう。

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