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同調のバラバラ。

「何歳なの?」「三十歳」「結婚はしていなる?」

過去数えられぬほど浴びた同じ質問のおかげで、相手の社会常識や普通を壊すことなく曖昧に躱すことは、習性のように染みついている。けれど十四歳の少女が選ぶ慎重な口調は、僕に逃げを恥じらわせた。

「一度も」「恋人は?」「過去には」

尋ねる瞳は、ウガンダの文化、風習に育まれ同情的だ。

「結婚しないと、男になれないよ」

ここに於いてそれは合理で、当然の義務なのは判っている。その質問が、異文化へとって蛮勇にあたるかも知れないなんてちっとも思わない真摯な表情を見据えて僕は答える。

「君は、まだ若くて愛を育む方法の種類が少ないのかも知れないけれど」「私はまだ体験した事が無いけれど、いくつかを見た事はある」「ごめん。年齢を利用した」「大丈夫」

八十年代製のトヨタ・コロナに取り付けられた後部座席は、向き合い続けるのにむいていない。この空は、赤道の太陽に熱せられたヴィクトリア湖が吐き出す入道雲を包み込み、地球の自転より少しだけ早く回る。

「僕の国では、多くの人が離婚する」「それは、どちらかが何か罪を犯して?」

伝えよう。と、思考は言葉を汲むのだけれど。高層ビル一つない高地の空、そう遠くもないアフリカ最大の湖の雄渾どころか、停車している赤土の道の全貌も、古い年式のセダンの低い天井と、ガラスの嵌まっていない窓枠で切り取られたお陰で、確かならぬものに感じた僕は、日本から持ち込んだ論理が揺らいで、適切な英単語を掴めなくなってしまった。

「ごめんねマギー。僕の英語はとても拙い」「私は日本語を一つも喋れない」「愛は難しい。僕にとって、とても」「私にとっても難しい。とても」

とても。を重ねて共犯者みたく笑う彼女に、賢い優しさを背負わせて僕も笑った。

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