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【SUGAセンイル】瞳を閉じればあなたが

3月9日。
日本人にとってこの日は、前からある意味けっこう有名だったと思う。
私とてそれは同じで、この日は、別に大してファンでもなかったアーティストとそれが流行った学生時代の思い出ををなんとなく懐かしく思い出す日だった。
だけど今年からは、現在進行形で大好きなあなたを想う日になった。

ゆんぎ、생일 축하해요!
ラッパーでアイドルで作曲家でプロデューサー、砂糖で塩でスパイス、アラサーで五歳児で爺。
見るたびに違う顔を見せる百面相の彼に、私もずっと振り回されっぱなしだ。

そもそも、私の転落事故の真の原因は彼であると言っても過言ではない。
私があらゆるところで提示している2021年5月21日の友人からのLINE、これは実はこう続いている。

「誰やねんユンギ先生」
それが、このMVの第一印象だった。

そして私は「サムネだと左から2番目」で「緑の服で最後の方ラップしてた人」という情報を頼りに「ユンギ先生」を探すために何度もMVを観る羽目になった。
一時間半後の成果がこちら。

いくらなんでも認知能力が欠如しすぎている。
iPhoneの顔認識技術の方が絶対に上だ。

ともあれ、こうして何度もMVを観た結果、いつの間にかこの曲が中毒になってゆき、今に至る。
「ユンギ先生」の幻影を追い求めたことから、私の転落は始まったというわけだ。

「ユンギ先生」
今でこそあまり呼ばなくなったけれど、私はこの呼び方がけっこう好きだ。
メガネが似合って、知識豊富で、ちょっと理屈っぽくて、職人気質なオタクで、裏方としても活躍する「先生」。
歌って踊れるキラキラグローバルスーパースターのイメージとは少し似つかわしくない気もするそのキャラクターに、このグループのメンバーの幅広さを実感したことをよく覚えている。

でもそんな彼だから、彼がニコニコ愛嬌を振りまきテンプレに「アイドル」しているところを見ると、私恒例の余計なお節介が発症してしまうことがあった。
「これは彼が本当にやりたいことなのだろうか」
「やりたくもないことを誰かにやらされていないか」
実際に、踊らなくていいと言われたのにめちゃくちゃ踊らされる、と愚痴混じりの笑い話をしている過去の映像も見たことがある。

だから様々なインタビューで、彼が「死ぬまでBTSでいたい」という趣旨の発言をするたびに、私は心から安堵し、ものすごく嬉しかった。

個人の意志が強い人間は、時にその気高いプライドゆえに周囲とぶつかることがある。
転落したての頃の私は―たぶん無意識に―、いわゆる「価値観の相違」でグループから離れるメンバーがいるとしたら、それは彼なのではないかと恐れていたのだと思う。
でもそれがまったく的はずれな認識だったことを、様々な媒体を通して私は知っていく。

(略)最初音楽を作る時は、「とにかくヒップホップじゃないとだめだ」、「自分だけのプライドと、妥協できないものがある」という考えでした。でも大衆音楽の最前線にいて経験をしてみると、自分の我を通すことや、こだわることも、結局は聴いてくださる方たちがいるからこそ可能だとわかりました。僕はBTSになる前に、聴いてくれる人がいない音楽をやったことがありますから。それに僕が今やっている音楽でこだわるのを諦めたのかというと、そうでもありませんし。年を重ねて、大人になっていくにつれ、自分がやりたいものと大衆が好む音楽の間で、妥協ではなく、交渉が必要だということが分かったんです。

Weverse Magazine BTSアルバム『Butter』発表インタビュー

このインタビューを読んだとき、私は一つ思い出したことがあった。
日本のある人気音楽グループを特集したテレビ番組で、その人気に火を着けた楽曲について訊かれたとき、楽曲制作を担当したメンバーが「こういう音楽を作れば売れることは分かっていた」という趣旨の発言をしていたことだ。
それを観たとき、私はなんとも表現しにくいもやもやした気持ちになったのだが、上述した彼のインタビューで、その謎の感情の理由が分かった。

「大衆が好む音楽を作る」という意味では、どちらもそう変わらない。
両者の大きな違いは「聴き手」の扱いだった。

後者の発言では、(私の記憶の中では)聴き手への言及は無かった。
だから、ちょっと上目線というか、聴き手が蔑ろにされているような印象を受けてしまったのだと思う。
でも、前者、彼のインタビューでは、聴き手がいるからこそ自分は音楽が作れると言う。

そして私は知る。
彼が単なる我の強い個人主義者ではまったく無かったことを。
あくまで聴き手ファーストで、聴き手のために行動する優しい人であることを。
それは楽曲制作だけでなく、グループにかかわる彼の活動すべてについても言えるのではないかと思う。
やりたいことと周囲が求めることとを「交渉」させながら、きっと今日も彼は、私たちとメンバーのために生きる。

そんな大きな優しさと知性を兼ね備えた彼は、やっぱり私にとっては「先生」なのだ。

(略)彼は「作曲家になろうとしてアイドルになった」人だ。もちろん最初にアイドルになることを決心するには、少なからず葛藤があっただろう。だが彼が結局BTSとしてデビューしようと心を決めたのには、アイドルになる道が彼の音楽人生をより遠い所まで行かせてくれるだろうという判断が作用した。(略)ステージでは魅力的なライブやパフォーマンスを披露し、ファンたちとは親密にコミュニケーションを図り、オリジナル・コンテンツでは体を張る。特に若い頃苦労してキャリアを積みながら、自分の音楽を聴いてくれる心強いファンたちがいることを願っていた彼は、アイドル・プロデューサーとしてその夢を叶え、プロデュースするアイドルとしても、また数万人の観客の前で多くのコンサートを経験した、世界でも数少ないプロデューサーとしても愛されている。一人のSUGAの中にBTSのメンバーSUGAと、ヒップホップをするAgust Dと、プロデューサーとしての「by SUGA」が33.3%ずつ共存しているのではなく、状況によって彼は100%のアイドル、100%のヒップホップ・アーティスト、100%の専業プロデューサーになる。

Weverse Magazine Over the Horizon SUGA of BTS

ゆんぎ、생일 축하해요!
表に立つこと、裏で支えること、どちらにも全力で、そのたびにいくつもの違う顔を見せてくれるあなたが大好きだ。

「作曲家になろうとしてアイドルになった人」。
だから私はあなたにこそ、この言葉を送りたい。

アイドルになってくれてありがとう。
私たちの前に立ってくれて、素敵な世界を見せてくれてありがとう。

あなたを好きになってからそれなりに時間は経ったのに、今でもその百面相のすべてを私は見ることができていない。
だからこそ、これからの未来がますます楽しみになる。

最高のアーティスト兼最高のクリエイター兼最高のプロデューサーをこれからも私は300%の力で追いかけます。

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