『島唄』の歌詞に込められた本当の意味
当時はこの曲がよくCMで流れてて、歌詞の本当の意味も理解せずに聴いてましたが、今になって沖縄の戦争のことを歌っていたことを初めて知りました。
インタビューに答えている宮沢さんの話を要約すると、借り物の西洋音楽ではない音を探していたら沖縄民謡に出合い、そして沖縄の戦争の爪痕の多さを感じたそうです。
沖縄を知るために何度も足を運んで戦争をよく知っている方に話を聞いているうちに、沖縄戦を知らない自分を恥じたそうです。
そして自分は何が出来るかを考えた時、歌を作ることしか出来ないと思い、そこから島唄が作られました。
多くの人の耳に届きやすいよう歌詞に戦争をストレートに盛り込まず、男女の出会いと別れを描いたそうです。
『ウージの森であなたと出会い ウージの下で千代にさよなら』
描いた別れは戦争に巻き込まれ、追い込まれた不条理な「自決」による死のことを描いているそうです。
このパートだけは琉球音階も三味線も使ってなく、宮沢さんは「押し付けられた戦争で沖縄の人が選ばざるを得なかった死。沖縄の音階は使えない」とおっしゃっています。
インタビューの記事は下に貼っておくので、興味がある方は読んでみてください。
でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された)
でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている)
繰り返す哀しみは 島わたる波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは島中に波のように広がった)
ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で愛するあなたと出会った)
ウージの下で 千夜にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった)
島唄よ 風にのり 鳥と共に海を渡れ
(島唄よ風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の彼方にある神界"ニライカナイ"に戻っていきなさい)
※ニライカナイは沖縄や鹿児島県奄美群島の各地に伝わる他界概念のひとつ。理想郷の伝承。
奄美ではネリヤカナヤとも呼ばれている。
島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい)
でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた)
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった)
ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で一緒に歌を歌った友よ)
ウージの下で 八千代の別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった)
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界"ニライカナイ"に戻っていきなさい)
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい)
海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う)
このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい)
島唄よ 風にのり 鳥と共に海を渡れ
(島唄よ風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の彼方にある神界"ニライカナイ"に戻っていきなさい)
島唄よ 風にのり 届けておくれ私の涙
(島唄よ風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい)
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界"ニライカナイ"に戻っていきなさい)
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい)
今は戦争の体験をされた方のお話しを聞くのも難しくなっています。
日本国憲法改正は絶対にさせてはいけないし、今の時代に生きる人間が守らないとまた同じ悲劇が繰り返されることになります。
島唄の曲を紹介することで、戦争の悲劇を少しでも知るきっかけになればいいなと思います。
ちなみに島唄は何バージョンかあり、そのうちの一つ沖繩語バージョンを貼っておきます。