私という弱い人間の吐露

「そもそも何故女優なのか」

自分でも日々自問自答しているところです。


正直幾度となく、辞めようと思いました。

テレビに次々とでてくる若くてかわいいタレントさんや女優さん、すでに地位が確立された先輩方。

舞台でも毎月のようにオファー・出演を繰り返す人もいて、SNSではそういった”活躍している人たち”の情報が「欲しくないとき」にもたくさん入ってきます。

オファーもまちまちな自分はオーディションを漁る日々。

事務所のお仕事もなく、被写体のお仕事も枠が埋まることのほうが珍しい。

“誰かに必要とされたい”

”自分という存在を認めてほしい”

枯渇・渇望・羨望に疲弊する日々は苦しいです。


でも努力があるかと言われれば、私は人以下でしょう。

日々鍛錬が足りているかと言われれば恥ずかしながら全くです。

芝居力?なんてとんでもない。

10年経ってもまだ確信できるほどの何かも掴み切れない。


「嘆く前に努力をしろ」

「悲観する前に動け」

そりゃそうですよ。それが正しい。


でもそう思えないときは?体が動かないときは?

思考がこびりついて何をするにも億劫なときってみんなどうしてるの?

そんなことないの?私が弱いだけ?


そんなときほどみんながいつもよりもっともっとまぶしくてつらい。

自分にはなにもないのだと気づかされるようで、SNSなんて開きたくない。

でも更新はしなくちゃ。

忘れられないように、誰かに見つけてもらえるように。

そうして今日もSNSのアプリを開く。


待って。

私の仕事は「女優」じゃないの?

「SNSを更新すること」なの?

そうじゃないでしょ。

私が本当にしたいことって…なんだろう。


ここまで書いてわかるようにとても心の弱い人間ですし、めちゃくちゃ気分にムラがあって、大好きなアニメを見ればやる気が出るくらい影響を受けやすい人間です。

改めて、そんなちっぽけな人間がなんで“女優”なんていばらの道を選んだのか。進み続けているのか。

(正直”いばら”と気づいたのは近年です笑)

最初はただの【憧れ】でした。

そして今もきっと【憧れ】です。

みんなに憧れてもらえて、実家の家族は誇らしく思えて、何より自分のことを好きな自分がそこには居て。

キラキラとまぶしい世界にいる人たちはきっとそうなのだろうと私には思えて仕方ないのです。

もしかしたら、女優じゃなくても叶うお話かもしれない。

会社に勤めてバリバリ働く皆様も、子育てをしている友人たちも、楽しそうに過ごす近所のご老人方も、みんな私からはまぶしく見えます。


だけど、“女優”がいい。


たぶんこれは私の【意地】なんだと思います。

目指してしまった意地。

周囲に言ってしまった見栄。

それをあきらめない自分でいたいという願望。


もちろんお芝居自体も好き、なんだと思います。

でもそれよりもほんとは「そこに居続ける自分」が何より好きなんだと、最近はそう思います。

良し悪しはわかりませんし、馬鹿にされても仕方のない考え方なのかもしれないけど。

なんならほんとはもっとちゃんとかっこいいこと言いたいけど、だめですね。

自分が好きなんですね、こう言えちゃう自分のほうが好きだし、私の中では「嘘をつかない私」が一番かっこいいんです。

あれ?一周まわってかっこつけてるのか?

まぁ、いいや。笑


ようは、”見栄っぱりな女優”なんです。いまは。

でもそのままで居たくはないし、

努力はめんどくさいし嫌いだけど、やっぱり上にはいきたい。

だからこうやっていろんな方法を試しながら、メンタルをコントロールしてみようというわけです。


モチベーションとの向き合い方、

劣等感との向き合い方、

本気になるということはどういうことか、

まだまだどれも中途半端で、自分のことなのにわからないことだらけです。

何かにつけてかっこつけてしまう自分をどうやって受け入れていくかも考えないと。

それを見つけるためのnoteです。

私が”女優”でいるために、本当に必要なものを見つけたい。

答えは「急がばまわれ」。

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