児童相談所・児童福祉制度の歴史をまとめてみたよ
現在の児相・虐待をめぐる社会の動きを俯瞰するため、歴史を調べてみました。完全に私の勉強用です。
第二次世界大戦以前
・1868年(明治元年):児童養護施設「慈善院」。慈善家、仏教、キリスト教などによるものが多い。
・1900年(明治33年):感化法→感化院の設置(現 児童自立支援施設)
・同上:滋賀県神崎郡婦人会児童健康相談所
・1887年:岡山孤児院創設。現在の児童養護施設のルーツで、教育が強調されていた。
・1914年:北海道家庭学校設立。現在の自立支援施設のルーツ。岡山孤児院とともに私設で、児童救済施設の近代化を試みた。
・1919年(大正8年):
大阪市児童相談所(初の公的相談機関)設立。それまでは愛国婦人会、赤十字、医師会等が相談に応じていたらしい。
・1938年:厚生省誕生。児童課が設けられた。戦死者遺族の支援が優先。
○ まとめ
民間により児童養護の施設ができ始める。基本的には孤児の保護が支援の主だった内容であった。
感化法制定以後は、民間の慈善事業が感化救済事業と称し、国家の介入を受けて天皇制イデオロギー普及のための場の一つとなっていく。
初の児相も軍国主義的な運営だったよう。
戦後〜1999年
http://www.orangeribbon.jp/about/child/data.php(オレンジリボン運動公式サイトより)
・1947年:児童福祉法公布。児相の設置が義務化(1949年)。子どもの権利保障、全ての児童の健全な育成を理念とした。里親養育に関しても記載されている。
・1949-50:アリス・K・キャロルが国際連合より派遣。児童相談所の実地調査・指導を行う。当時の児相について痛烈に批判する。
・1951年:児童福祉マニュアル(キャロル・マニュアル)が作成される。児相の組織に「措置部」「判定指導部」「一時保護部」の3部制の導入を提言。現在の児相機能の礎となった。
・同上年:児童憲章が宣言。改めて、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかることが謳われた。
・1956年:「指定都市における児童福祉に関する事務処理の特例について」。政令指定都市に児相設置が義務化。
・1957年:児童相談所執務必携が刊行。緊急保護だけでなく、相談業務にも目が向けられ始める。
・1967年:厚労省通達「総合的相談機構について」。相談業務がこの辺りから増え始めていた。
・1973年:「療育手帳制度について」「療育手帳制度の実施について」。知的障害児に対する援助及び補助のため、療育手帳制度が開始。(補足:現在、療育手帳は自治体により発行)
・1977年:児童相談所執務提要を厚労省が作成。主要業務に相談対応・措置・一時保護を挙げた。さらに、療育手帳の判定業務、三歳児健診業務を加えた。
・1987年:1973年の菊田昇医師による赤ちゃん斡旋事件を背景に、民法改正により特別養子縁組が開始。里親制度の普及、特別養子縁組における家庭裁判所との協力等の通知が出される。
・1989年:全国児童相談所長会「子どもの人権侵害例の調査及び子どもの人権擁護のための児童相談所の役割についての意見調査」の結果を発表。半年間で1,039件の「親または親にかわる保護者による虐待事例」を発表。当時、虐待についての統計は取られていなかった。
・1997年:児童福祉法第50次改正。働く母親の増加や児童虐待問題の深刻化などの状況を踏まえて大幅な改正が行われた。自立支援政策の充実、学童保育の認定制度化、保育サービスの充実、児童家庭支援センターの創設等が盛り込まれた。
・同上年:厚生省通知「児童虐待等に関する児童福祉法の適切な運用について」。虐待対応において、児の安全のために職権を使用した対応をするよう通知した。
まとめ
戦後はGHQや国連の介入もあり、児童福祉の制度が整い始める。児相は、戦後すぐは孤児対応が主であったようだが、非行対策・相談業務・障害者支援・虐待対応と、社会情勢に合わせる形で多くの領域を担うようになっている。
1994年に子どもの権利条約批准し虐待の把握件数が一気に増加して後、虐待対応が児相の中心的な業務になっていった。 実際に同年の通知から、措置的な介入の色を強めている。
また、子どもによる養護施設職員殺害事件や、逆に施設内での児童虐待が度々問題になっている。
2000年以降
・2000年:「児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)」が制定、施行。保護者による身体的暴力やわいせつな行為、成長を妨げる減食や放置、暴言や拒絶的な対応、DV等が虐待と定義された。また、学校・病院・児童福祉施設等の関係機関に早期発見の努力義務を課し、発見した場合の通告を義務付けた。児相には立ち入り調査や警察との協力についても規定された。
・2004年:児童福祉法、児童虐待防止法改正。児童虐待対応の強化へ。要保護児童対策地域協議会の設置が市区町村の努力義務になり、市区町村の児童虐待対応における役割が増加、加えて市区町村への援助が児相の業務に追加された。また、通告義務の範囲を拡大し、虐待を受けたと思われる場合も通告を義務付けた。
・2007年:長岡京市の事件を踏まえ、「児童相談所運営指針等の改正について」を通知。虐待対応について、48時間以内の安否確認を定めた。(48時間ルール)
・同上年:児童福祉法、児童虐待防止法改正。児童の安全確認等のための立入調査等の強化、保護者に対する面会・通信等の制限の強化、保護者に対する指導に従わない場合の措置の明確化などを規定。
・2016年:児童福祉法改正。児童虐待の発生予防から自立支援までの一律の対策強化等を図る。児童福祉法の理念の明確化、子育て世代包括支援センターの全国展開、市町村および児相の体制強化、里親委託の推進等を盛り込んだ。
・2017年:児童福祉法及び児童虐待防止法の一部改正。児童の保護についての司法関与を強化
・2018年:目黒区の死亡事件を契機に、児童虐待防止対策体制総合強化プランを策定(12月)。全国で児童福祉司を2020人、児童心理司を790人増員すること等を目標として決定。
・2019年:目黒区・野田市の事件を踏まえ、3月19日に「児童虐待防止対策の抜本的強化について」を決定。対策実施のため法案を閣議決定、国会に提出。
6月19日に「児童虐待防止対策の強化を図るための児童福祉法等の一部を改正する法律」が全会一致で改正。児童のしつけに関して、体罰を加えることにより懲戒してはならないとされた(児童虐待防止法)。また、児童相談所の体制強化、児童相談所の設置促進、関係機関間の連携強化なども規定。懲戒権について規定の見直しが検討されている。
まとめ
2000年以降は相次ぐ虐待による死亡事例を背景に、児相の機能が強化されています。目黒区・野田市の事件を機に虐待への関心が高まるとともに、児相の業務についても報道され始めており、児相の設置増加・児童福祉司の増員・こども家庭福祉分野の国家資格化等の動きが出ています。
虐待がその後の発達や健康に与える影響も明らかになってきています。日本はトラウマ治療が遅れている印象ですが、ICD-11に複雑性PTSDが収載されたことで変わっていくきっかけになればと思います。
参考文献
・吉田幸恵(2012). 社会的養護の前史 一明治期における児童救済事業の展開一. 名古屋市立大学大学院人間文化研究科 人間文化研究 第17号 53-69.
・川﨑二三彦 , et al. 平成22・23年度研究報告書 児童相談所のあり方に関する研究 ―児童相談所に関する歴史年表―. 社会福祉法人横浜博萌会 子どもの虹情報研修センター.
・厚生労働省資料(児童福祉法等の一部を改正する法案の概要)
・厚生労働省資料(児童虐待防止対策の強化を図るための児童福祉法等の一部を改正する法律(令和元年法律第46号)の概要)
・金井剛(2020). 児童相談所の歴史から考える. こころの科学 2020年11月号 26-32. 日本評論社
・柴田拓己(2020). 改正児童福祉法等による児童相談所の体制強化等. こころの科学 2020年11月号 81-85. 日本評論社
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