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映画『決断〜運命を変えた3.11母子避難〜』を見て思うこと

昨日、溝の口の てくのかわさきホールで行われた映画『決断〜運命を変えた3.11母子避難〜』の上映会に行きました。

この会については、以前参加した集会で受け取ったチラシで知りました。原発事故から13年経った今、当時の情報に触れる機会はなかなかありません。原発は反対だけれども、事故当時東京で暮らす小学生だった私は、全然コトを理解していないなぁと思い、参加を決めました。
先週は激務で疲れがとれず、日曜の朝9時に間に合うように起きるのは辛かったです…でも見に行かないと後悔するだろう!と奮起してベットから抜け出しました。

本会は映画と講演会の二部構成でした。講演者は、森松明希子さん。原発賠償関西訴訟原告団代表の方でした。

映画および講演会を経て、特に印象に残ったことを2つあげます。

1つ目は、原発事故で避難した人の中には、今当時以上に厳しい状況に置かれている人たちが多くいること。13年経ったイコール、13歳年をとったということです。当時幼かった子どもは中学生、高校生となり、よりお金がかかる時期に来ています。事故から何年も経てば生活を再建し、自立しているだろうと言われるが、とんでもない!との発言が映画にありました。その言葉にハッとした私も、心のどこかでそう思っていたのでしょう。

自力で避難した人たちは「自主避難者」と言われます。「自主」と言う言葉は、「自分から進んで」という意味を持つ一方「別にやらなくてもいいのに」というニュアンスを含みます。しかし、当時好き好んで避難した人は一人もいません。だからこそ、避難する原因である原発事故を作った国と東京電力が、責任を持って暮らしを支援するのは当然である。そう声を上げた人たちが、原発賠償訴訟を各地で起こしました。訴訟は今でも続いています。

2つ目は、誰もが被曝を拒否する権利があると知るべきであること。

原子力発電所をつくるときに、事故のリスクを十分に説明し、住民と合意していたでしょうか。人は誰しも過ちを犯すし、想像もつかないような災害が起きる可能性だってあります。では何が問題だと言いたいのかというと、事故当時、住民たちは逃げるべきなのか判断がつかなかった。それほど原発事故のリスクや影響が説明されていなかったことです。森松さんの表現を借りると「火事が起きたらすぐ逃げなければ危ないのは、視覚情報や体感、前提知識でわかる。しかし原発事故はそれがなかった」。映画の中には、自力で避難したにも関わらず、事故以降に放射能を受容しやすい器官の病気を繰り返す人が出てきます。放射線が身体に与える影響を、事故前は国は東電は説明せず、マスコミもほとんど取り上げませんでした。

誰もが被曝を拒否する、逃げることは権利だと、わざわざ裁判で訴える人生になるとは思わなかったと森松さんは話しました。言うまでもない、当然の権利なはずなのに。

事故を直接経験していない私にも、これを読んでいる貴方にも出来ることがあります。知ること、伝えること、声を上げること。私は今後も原発事故に関する本を読み、勉強会に足を運びます。今回のように記事を書いて伝えます。そして、私のタイミングで声を上げるつもりです。

改めて上映会主催の「原発ゼロへのカウントダウンinかわさき」のみなさん、大阪からお越しいただいた講演者の森松明希子さん、司会の鴨下美和さん、ありがとうございました。

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