お気をつけて
盟友がいる。愛知の大学で出会って、一時期寝食を共にしたけど、最近の数ヶ月は別の場所でお互い動いていた。
それで雨の午後に、久しぶりに愛知のコメダで会うことになった。東京と愛知とをお互いが行き来していたから随分会えず仕舞いだった。それで再会にはドキドキしていた。そのコメダ珈琲は私が1人の時に愛用していた店舗だったけど、彼もそうだったようで、大学にある「2人のいつものベンチ」に集まる時とは別の感触があった。いつものベンチというのは、大学の講義棟の下にある軽いスチール椅子のことで、座ると大学の自然に溶け込むことができる。私のトレロケ、宝物の場所のひとつだ。彼と親しくなった去年の秋には、そこであらゆる話をした。つまらない冗談を投げあったり、胸に秘めた決意を伝えてみたり、控えめにふざけて笑ったり、空の写真を撮ったり、ただぼぅ…としたり、無言で慰めあったりした。そこではいつも、自販機のコーヒーかカフェオレを飲んで、涼しくて暖かい気候に揺られながら心の内を話すというような、学生らしい時間をいくつか共有した。
ホットコーヒーを手にするようになった頃に、私たちはそれぞれの思う道を歩き始めた。
1月31日、今日の私たちはというと、この冬の雨の中冷たい珈琲ジェリーとアイスクリームコーヒーを注文して、そしていつもみたいに色々な交換を始めた(それはメニューを開く前から始まっていたけれど)。
大学の留学制度の内実のなさに腹が立つこと、お互いの恋人は元気か、彼女の心の穴はどうなったか、出願はしたか、次に東京に行くのはいつか、休学の先の計画、帰る家、街の住みやすさ、自分の中の先生、やる気のあるコミュニティ、そのスピード感、戸籍、美大生の在り方、センスをちぎり合うことの必然性と道徳的な痛み、理想の差と苦しみの差、19歳という「時期」、20歳に期待していたこと、藝大について、海外について、効率主義者と交流について、若さに任せた詭弁、予備校的、あらゆる基準、教授の支援、軸とビジョン、誰かにとっての良いおばあちゃんになれるという自信、自分が選ばれし者だという彼の使命感、感じる希望、それで生まれる苦しみと乗り越えた苦しみ、学者とアーティストと存在感、創作の場所、野生と不良、知識人への憧れ、諦めそうなときに頼る作家、自慢、専攻の愚痴、理想の人物像の再確認、人生における成功、ここで折れちゃ勿体ない人、あの人のようになりたくないって人、アクティビズムの優越、学生作品、昔の自分と美しい友達について、嫌な話題や他に話せない正直なところ、幼いままの雑感を全部。
変わらない人差し指の指輪と相変わらず色のチョイスの良いフーディーだった。やや黒くなった髪、ソフトクリームの1口目は先からパクッといくという新発見。観察を交えて会話するようになった私と、物事の取捨選択に磨きのかかった彼。その鋭さに、野望への堅い自負と彼の責任を見る。
そんな彼は、「バカンス」という言葉を知らなかった。検索して、フランス語か…と呟いた。そういえば、彼は「恋しい」という言葉も知らなかった。手相の十字が指すのは感情の強さらしいと教えてくれた彼の、その手に十字は無かった。透けそうな手のひらの皮膚、細い指と整えられた爪。そこには無遠慮で無邪気な、軟らかいままの青春と、弾けられなかった光が隠れている。
眠る時、私は宇宙を泳ぐような気分なのだといつか自分の恋人に話したことがある。それはいつも眠りすぎてしまってゴメンっていう言い訳ではあったけど、決して嘘ではなくて、本当に感じることなのだけれど、実際のところ、そのように効率から離れフワリと生きていくには才能が要るらしい。
盟友の変化に心がすくんだとき、その目の黒が、私にはもう追えない黒を光らせたとき。
思うのは、離れていたお互いの時間のことだろうか。それとも、もう一度交差する未来の日への淡い期待か。2人が完全な共同体として変化を共に出来るのなら。毎秒積み重なる変化や矛盾に、同じ身体で笑っていられるのなら。個人の中でバキバキ暴れる変化には、そろそろ飽きてきたってとこなのに、それでもあの日の共感が再来することを信じながら、私たちは今も1人ずつで頑張っている。
無駄というものが何を指しているのか、あれほど自明な人間を彼以外に知らない。いつか私の雑感は彼の無駄になるだろうか。
いつか会えなくなる日が来るのだろうか、夢のために。
もし一日だけ、彼が私に時間をくれるなら、全部溶かして遊びにいこう。コンバースを履いて2人で走ろう。あのベンチもコメダに積もる雨の記憶も追い越して、曲がり角の喫茶店にふと入ろう。そしてふたりはコソコソと玩具のおみくじを引く。私はあの優しい彼の手のひらに、大吉の紙切れを広げるのです。あなたはそれをスマホの裏にしまうような人じゃなくて、その日に限ってはきっとつまらない男になるのだろうけれど、それでも私はその一日を、翌日には人生の仕事に戻る彼の胸にキラキラと焼き付けて、精一杯に手を振るよ。
2024.1.31
長久手 コメダ珈琲にて
イギリス行き、おめでとう。