こちらは愛知県名古屋市にある「jingu339」というアートプロジェクトスペースで行った喫茶企画のアーカイブです。 同世代の友達から展示のお話をもらって、梅雨頃に一緒に下見にいきました。雨が降っていて、jingu339までの小路は水溜まりと濡れた苔と、白い空気に包まれていました。 入るにしても、ドアを伝って雨粒がこぼれた。中に入っても雨漏りしていて、下ではプラのボウルが水を受けていて、ワクッとしたのを覚えています。 白壁のアートスペースは2階、1階には厨房やカウンターの設備
あと45分 筆を置く音が太陽の終わるときです。 それが合図、それだけが合図なんだ。 この身に苔がむそうとも 蝶が肩を食おうとも モーニングコールが響こうとも私たちはこれから雨を降らせます。 「南に行かれる?あの国は満席になってざっと10年ですが。」 地面に近づいてみると例外なくまじないが焼き付いています。 黒い歯の魔獣が足跡を掻き出しています。 収穫ずみの金の札がたしかにみえます。 剥き出しの電柱にもたれてみましょう。 最後の食事を済ませた地方の人々が、ふわふわ機体に
風景を忘る夏の熱。 勢いづくこの国でいかがお過ごしでしょうか。 この度 喫茶、几(ひじかけ)を営業することになりましたのでお報せいたします。 場所 jingu339 愛知県名古屋市熱田区神宮3-3-9 最寄り駅:神宮前駅 改札を出て左の出口から徒歩3分/熱田神宮伝馬町2番出口から徒歩約7分 時間 2024/8/2~8/24 ㈮㈯ のみ 13~20時 (ラストオーダー19時) 4㈰は13-15時の特別営業 💐16時からjingu339オーナーの渡辺英司先生、 作家のMo
盟友がいる。愛知の大学で出会って、一時期寝食を共にしたけど、最近の数ヶ月は別の場所でお互い動いていた。 それで雨の午後に、久しぶりに愛知のコメダで会うことになった。東京と愛知とをお互いが行き来していたから随分会えず仕舞いだった。それで再会にはドキドキしていた。そのコメダ珈琲は私が1人の時に愛用していた店舗だったけど、彼もそうだったようで、大学にある「2人のいつものベンチ」に集まる時とは別の感触があった。いつものベンチというのは、大学の講義棟の下にある軽いスチール椅子のことで、
#❤️ 十四世紀、僕らお絵かき星団がイタリアに滞在していた頃の話だけれど、その頃の僕らといえば揃いも揃って顔がやつれていた。 その頃のイタリアには、もう今じゃ考えられないけれど、自らのハートを守りなさい、という共通の教えがあって…それがそろりと、絵を描く僕らの腕を凝り固めていたようだった。 お絵かき星団は、もとより団体。それも、寝て起きては遊びに出かけようとする性格の仲間たちで、ママに叱られてパパに笑われては伸び伸びしてた。どでかいゾウの背中でいっぱいの絵を描いた。 だから
僕とあの子は全然似ていない。 でも僕はあの子にキスをするために、あの子は、僕にキスをする日のために生きている。 僕ら2人にはそれが本当に、なにより美しく輝いてみえるのだけど、でも僕達はみんなでこの時代に生きている。だからみんなでその美しさを知りたいと思う。僕とあの子は、誰も見捨てずに唄う彼らに憧れてきた。だから、だからシーツにベッタリと背中の赤い痕がついていた朝も、有り合わせで漂白していく空洞の昼も、音楽が玄関を叩き続ける今も、殺戮の国の土を舐めて絵を描く。僕はTwitter
さあ沈黙を出よう
家に帰りたくない時なんて大体マックにいるし、泣きそうな時には早く走るよ どこか滞在するならまず24時間やってる店を調べるよ スマホと現金頼りになんない! これ沖縄旅行の教訓でしょ チョコと牛乳 チーズとトマト お米は人と食べたいよ、 やっぱり作るご飯がいいね。 少し 年をとったかな。 年越しおばーちゃんの唐揚げ食べたいなあ ホントウだったら帰りたい いつだって帰りたい いつだって帰りたい (run) いつだって隙間から足引っぱって欲しい (run…) 今はあの子
川沿いのイタリアンで、私たちは大きなソファに腰掛け料理を待っていた。 彼は聞いた。 「Have you ever had a stress-free night like this and wanted to die?」 (こんなノンストレスの夜に、死にたくなったことはある?) そのイタリアンのお店は私の故郷からずっと離れた所にある。その距離と近くに聞こえるさざ波が、夏のバカンスを作っていた。私は海老や貝、何やらよく分からぬ海鮮の混ざったパスタを巻きながら、 「あるよ。けど
プセさんという人の文章を読んで、白紙が恋しくなりました。母国語を中国語とする友達といつか一緒にグリーンロードで帰った夜のことだけど、日本語が達者な彼が「恋しい」という日本語を訳せず、一緒に意味を調べたことがあります。彼はその言葉の意味をみて、「soファッキングsweet!」とか感想を言っていたけど、私にはそんなに強い言葉ではないような気がして、その時はただ微笑むばかりでした。ああ、その彼は今、愛する人を迎えに行き、その人の旅の成果を、手を膝に置いて聴いている頃でしょう。愛する
(整理です) 誰かの日常の一部や持ち物、服、周囲の断片をみてその人のすべてが分かったような発言に悲しみを覚える。(否定や思い込みに対する自戒であるのかもしれない) 飲み干された友人のコーラのペットボトル、カーテンに寄りかかったあの人のコーヒー、日本画のアトリエにある飲みかけのジャスミン茶 、積み上がった綾鷹をみて私は安心し、それらが他人の日常の究極の一部(一部にすらなり得ないほど微かなもの)であることに葛藤する。(※1)ペットボトルの持ち主の答え合わせをすると、それはTであ
以下に続く文章は存命のある人が読んでいたらしい本の一節です。 SNSを通した曖昧な出会いでしたが、私の思春期を支えた文章でした。 検索を掛けても著作元に辿り着けず、引用元を書けません。 ご容赦ください。 2024.05.15 02:49 国の南
エゴンシーレ展 内的で流動的なことをその都度観察し、変化後に考え直す他にない シーレはそうして苦悩と闘い続けた そして太い波に一針刺していった 水溶性の芸術をやっていたのだ 現代アートをやるのに、表現主義で苦しみ続ける必要がないと。