わたしの人生だれの人生?
幼い頃から「勉強をしていい成績をとること」をきつく言われていた。
小学生のころ、お正月に嵐が4・5時間ぶっ続けで特番をしているのをテレビの前でかじりついて見ていたら
「まだ見てるの?」
と言われ、わたしは最後まで見ることなくテレビのない自室に戻った。
中学生になって最初のテスト、
当時わたしが所属していた部活動はテスト期間の練習はもちろん休みだったけど、夜の時間に外部での練習はしていた。
わたしは参加したかったが、させてもらえなかった。
反骨精神というか、半分拗ねただけというか、勉強をせずに本ばかり読んで少し成績を落とした。
そのこともあってか、わたしが頼み込んだからか、次のテスト休みからは参加させてもらえるようになった。
中学3年間で誰かと遊んだのはたったの3日。
ちゃんと1日1日を覚えていられるくらいの日数。
中学時代のわたしはたぶん誰よりもガリ勉で勉強と部活しかしてなくて、案の定友達がいなかった。
わたしの住んでいた田舎の県には、いわゆる"進学校"と呼ばれるとこが3つほどしかなかった。
実家の立地的にはどの学校にも通うことができた。
だけどその中の1つが母の出身校であり、悩むことなく気づけばそこを選んでいた。
ある日家に帰ると、母から
「ある高校から部活動で推薦の電話が来てたから、断っておいたよ」
と言われた。
もちろんスポーツにおいてたいして才能も実力もないことは分かっているし、きっとわたしがその電話を受けても断っていただろう。
だけど、わたしには選択の余地さえなかった。
高校生になって最初のころは少しだけ成績がよかった。
でも、だんだんと伸び悩むようになった。
たぶんわたしは、他の人より効率が悪くて、ガリ勉にならないと人並みにできないのだと思う。
だけど、「ガリ勉」で過ごした中学時代に何も思い出はなかった。もう同じ轍は踏みたくなかった。
順調に成績を落としていく中でも、またもや両親の期待が脳裏をよぎった。
成績が良かったころ、将来は東大か京大だねと言われていた。
それが忘れられなくて、最後まで旧帝大へのこだわりが捨て切れなかった。
本当は、自分にそんなにも能力がないことは分かっていたけれど。
そしてその中で本当に興味のある学部は、どんなに無理をしても届かなそうだった。
だから少しだけ得意な分野で選んだ。正直興味はなかった。
予想通り、興味がないからなにも身に付かない。
勉強はしてみるけれど、どう勉強したらいいのか分からない。
なんて状態がずっと続いていた。
大学2年生の夏休み。
サークルに所属してもいなければ、固定のバイトもなく退屈な毎日を送っていた。
なんとなくでいくつかの国に短期の留学だったり、旅行だったりで訪れた。
初めて楽しいと思えた。
これは絶対に長期で留学に行きたい、
そう思ってお金を貯め始めた。
実際に来てみた。
やっぱり大変だった。
わたしはきっと、語学に興味があるわけではなく、
みんなが自分に無関心で、わたしも誰のことも気にしなくていいという異国の環境が心地よかっただけだと気づいた。
それでも自分で決めたからにはと頑張っているし、後悔はしていない。
先日、両親と電話をした。
きっと世間がそういう時期だからだろう、
「どういうところに就職するの?」
と聞かれた。
わたしは昔から本が好きだし、マンガも好きだし、こうやって文章を書くのも好きで、
いつからかぼんやりと出版に関わる職業に興味を持っていた。
そのことを伝えると
「まぁそれもいいけど、せっかくなら語学を使う職業がいいよね」
と言われた。
逃げのように思われるかもしれないが
わたしは勉強をするために生きているわけじゃないし
仕事をするために生きているわけじゃない。
わたしはいつになったら、
自分の道を自分で歩めるのだろうか。
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