黑い翼の ユメをみた.
ただ白く大きな鳥のようなその生き物は、
数百年ごとにこの世に現れては人間を観察し、死に際に特別な雪を降らせるという。
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ある寒い冬、いつものようにベランダに出ていた。ふと上を見上げると、屋根の上に白い鳥が居た。
僕はそれを何故か、カラスだと思った。
それはカラスよりもずっと大きく、そしてからだは真っ白いと言うのに、何故か。
いたずらをしているようでもないそのカラスのような生き物に、僕は「何してるの?」と話しかけた。
驚いたのか、その生き物はバサッ!と一瞬、翼をばたつかせた。
「人間、なぜわたしに気がついた?」
僕は「え」と固まってしまった。
「カラスが喋った……」
思わずそのまま声に出てしまった言葉に、そのカラスはふふふと笑って、僕の傍まで降りてきた。
「まだカラスでは無い」
「わたしはユニ──この世の殺意を喰らう者だ」
鳥のような後ろ姿とは対に、正面から見たそのカラス――ユニは、人の姿をしていた。
蒼く光るサファイアのような瞳に、細い糸のようになびく白銀の髪と、幼くも整った顔立ち。
その美しい少女に見とれていると、木枯らしが音を鳴らしながら強く、強く吹いた。
その風と共に、ユニは一瞬で姿を消した。
去り際、
「きみの悪意は白すぎる」と残して。
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それから時折ベランダに出ると、ユニを見かけるようになった。
ある時は隣の家の屋根の上に、ある時は小さく小さくハトほどの大きさで、電線の上に。
何故だかいつも、僕から見える範囲に居た。
ある日、正面から4つめの家の屋根にユニが居るのが見えた。しかしよく見ると、ユニのほかに3羽、ユニと似た見た目の大きな鳥が居た。
目を細めてよく見てみると、皆ユニと同じく正面は人の見た目をしており、何か真剣に話し合っているようだった。
その光景はおもしろいほど不思議で、ただただ、時の流れるまま それ を眺めた。
数時間ほどして話し合いは終わったようで、
4羽は各方向へ飛んで行った。
それはあまりにも素早く、目で追えずユニを見失ってしまった。
辺りを見渡して探したけれど、見つからず、仕方なくもう家の中に入ろうと、ベランダに背を向けた。
と、何処かから声がした。
「きみはわたし達を凝視しすぎている」
振り向いても、ユニの姿はどこにもなかった。
「ごめんなさい、けど」
「…けど、あまりにもあなた達が美しくて」
その白い姿を思いながら、僕が微笑むと、
頭上からバサッという翼の音がした。
「きみには、わたし達が美しく見えるのか」
淡々としているようで、その声には、若干の憂いを感じた。
「はい、とても」
「天使なんじゃないか、って思うくらい…」
「ただただ、美しく見えますよ」
僕の答えにユニはしばらく間を置いてから、「そうか」とだけ答えて、再び翼の音と共に去った。
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明け方、屋根に登る人影をみた。
見た目は黒いジャージを着た中年の男で、
手にはかなり大きな包丁を握りしめていた。
僕は怖くなり、一旦ベランダの扉を閉めたけれど、何故かうまく扉が閉まらなくて、そうしている間に男は近付いてきた。
そして隣の家の屋根からこちらのベランダに跳んで移ってきて、閉めようとした扉を手でガッと抑えられた。
「ここで見た事は、俺のことは全て忘れろ。警察に通報でもしてみろ、今すぐにお前を道ずれにしてやる。いいな、何も言わず、騒がずに、何もかも忘れろ」
威圧的に、包丁をチラつかせながら酷く睨んで、男はそう言った。
僕は怖くて「分かりました誰にも言いません今すぐに忘れます」と早口で言った。
男は悪い顔で笑うと、そのまま隣の家の屋根に移った。
恐ろしく思いつつも気になってしまい、好奇心のままガタつく扉を少しだけ開けた。
人間離れした身体能力で、屋根から屋根へ軽々と跳ぶその男は、遠くの家に火を付けたようだった。
人も、何人か殺したようだった。
複数の方向から、悲痛に叫ぶ声が聞こえた。
恐ろしく、空が赤かった。
男が近くまで戻ってきたのを見つけ、慌てて扉を無理やりガン!と閉めた。
何とか閉まりはしたが見つかってしまい、
直ぐにドンドンドン!と強く扉を叩く音がして、男がベランダから怒鳴った。
「テメェ!やっぱり通報したんだろ!
あァ!?おいここ開けろクソガキが!!」
僕はドア越しに「してません!ほんとに何もしてません!本当に!」と情けなくも必死に叫んだが、不透明なガラス越しに、男が包丁を振り上げたのが見えた。
「今すぐ殺してやる!!クソガキ!!」
男は興奮し、怒り狂った様子だった。
僕はいよいよ死ぬのだと思った。
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だが一瞬で、男は静かになった。
と、大きな刃物が床に落ちる音がした。
「ごめんな、ユウコ」と涙声で呟く声がして、男の影はどこかに消えてしまった。
というより、消失してしまったような。
静かになってしばらくして、恐る恐る扉を開けた。
ベランダには誰も居らず、ただ砂の粒のようなものが転がっているだけだった。
僕はほっとして力が抜けて、地面に座り込んだ。
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瞬間、強い強い風が吹いた。
ひらひらと、目の前に美しく舞い降りてきたのは、白く輝く大きな1枚の羽だった。
「どうして……これ…!!」
僕は直ぐに、誰のものなのか分かった。
拾ったその羽はあまりにも美しくて、なんだか、この世のものとは思えなかった。
「―――左翼の羽は、別れの印」
その美しい声が、言い放つ。
「凝視しすぎていると警告したはずだ」
「それ故に、きみは殺意に目をつけられた」
頭の理解が追いつかないまま、ただ言い放たれた別れという言葉に、まるであの包丁で刺されたように、胸が痛かった。
「きみの白さは、多く、汚されるだろう」
「けれど決して、他者に殺意を抱いてはならぬ。もしも抱いたそのときは―――」
「わたし が きみ を 殺しにゆくよ」
とても近く、耳元で、そう囁かれた気がした。
見上げると、上から覗き込む形で僕を見ていたユニと、目が合った。
あれほど蒼く、美しく輝いていたその瞳には、もう光は差し込んでいなかった。
「……また、さよならばっかり…?」
その瞳を見つめながら、しかし段々とその姿はぼやけていって。
「また、僕ばかり置いていくの?」
溢れてくるそれは、もう彼女を見せてはくれなくて。
「ずっと…ここにいるのに、ここにいるのは僕だけで、どうしていつも……」
もう此処が何処かも分からないほどに、霞んで、ぼやけて、白んで。
いつかの記憶と重なって、一方的に告げられる別れの切なさが、胸に痛みを伴う。
「別れを惜しむならばもうこの世の理をおかすな、すスむな、みルな」
酷くノイズのようにこもって聞こえる。
もう消えてしまうの?
この世界は、この夢は、―――キミは。
「 ……さよなら 」
呟く声がして、瞬間に赤かった空が吹き飛んだように、青空が広がった。
視界はあまりにもはっきりと、世界が映し出されて、目が眩んだ。
その眩しい蒼の中に、灰のような、粉のような何か。
それは、ほんの数秒だけの、魔法のような。
――夏の世界に、白い雪が降り注いでいた。
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─────変わらぬ朝に、目を覚ました。
途切れた世界の続きを乞うように、
まだ覚束無い足元でベランダに出る。
辺りを見渡すが、
もう黒いカラスしか居なかった。