ベルセルク 結末と世界
●はじめに
ベルセルクとは緻密なストーリーにその世界を構築する設定およびアイテムの描き込み、作りこみが深い漫画で
結末の考察など意味が無い前提で、結末を考えてみました。
誤った理解も多いかもしれません。
●本題
結論を言うとガッツとは神です。
正確にはガッツとグリフィスは内なる神(あの世界で神と比喩される存在、外なる神の律に従い選ばれた存在)である為、
神という言葉でしか表現できない「人間」です。
※ボイドも天使長という敬称ですが、ざっくりと「神」や「神の使い」と捉えることができる感覚に近いです。
ガッツとグリフィスは人間ですが、「因果律の神に選ばれたグリフィス」と「黄金律の神に選ばれたガッツ」という違いがあり、
黄金律の神こそ、完全律を司る唯一の神であるため、
ガッツの命は誰も奪えず、ガッツが人を救済することは何者も止めることはできないのです。
※ガッツはヒーローではないので、他者を救いません。
結果としてすがる者を救っているということにすぎません。
●外なる神
フェムトを作り出した神(魔の原形(イデア)、人の作り出した神、地獄、幽界の神)がいるのであれば、
イデアは唯一神を模範した可能性が高く、そうなると紛い物の神となります。
逆説的にも紛い物の神がいるならば、あの世界の理の外か内には唯一神がいるはずです。
となると唯一神こそ、黄金律を司る本物の神であり、
黄金律とイデアの因果律を含むすべての律、完全律を定めた神と呼べるはず。
※イデアの存在と意義に関しては
原作83話「深淵の神②」(コミック未掲載話)を参照とした内容なので今後の展開次第では存在しなかったことになる可能性があります。
※ベルセルクでは連載終了まで一切ここを語らないと思います。
キリストを誕生させた存在や、スターウォーズのアナキン・スカイウォーカーを誕生させた存在が物語の大筋では描かれないのと同じ感覚です。
そうすることでガッツを直接的に神と説明することなくベルセルクの神話を完成させることができると思うからです
●因果律、黄金律は完全律の流れに従う
因果律の流れに従い「蝕」が216年に一度起こるのであれば、
216年に一度起こる「蝕」から逆説的に因果律を証明できます。
「蝕」が逃れることのできない絶対的な儀式であるならば
「蝕」から逃れたガッツは、逆説的に絶対的な儀式ですら命を奪えない存在と証明できます。
となると、ガッツは蝕から逃れた存在ではなく、
蝕の儀式でもガッツが生きることを曲げることが出来ないと証明でき、
これぞ外なる神の黄金律によって選ばれた存在であることが証明できます。
※神の意志による使いというより、神に守護されているイメージ
フェムト誕生の蝕が決まっていたなら、そこでガッツが生き延びることも決まっていました。
となると、「フェムトが誕生した因果律」と「ガッツが蝕を逃れた黄金律」のふたつ は「完全律」の流れの中に内包されていると言えるはずです。
ガッツが死体から生まれ落ち、それでも生き延びたことも「黄金律」で定まっていると説明でき、
腕や目、味覚や視覚を奪うことはできても、
何者もガッツの命までを奪うとができないのも黄金律で定まっていたからと言えるはず。
●内なる神の誕生
ベルセルク13巻 蝕とは、上記で書いた通り捉え方の視点を変えると
フェムト(内なる神、因果律の神)が誕生し、同時に蝕の儀式を用いてもガッツ(内なる神、黄金律の神)を殺すことができない、
言わば内なる神(神と敬称できる人間)が誕生した瞬間となります。
蝕は紛れもない地獄ですが、
あの世界の人々にとって、烙印を刻まれながらも生き延びた者を伝説とし、噂や伝承としてガッツが神として広まることも無理はないと思います。
こうなるとフェムトもガッツの律に立ち向かった挑戦者であり、狂戦士という捉え方もできることになります。
そして、蝕でガッツが生き延びることこそまさに、外なる神によって定められた完全律の流れとなるのです。
※完全律には蝕(因果律)とガッツが蝕から生き延びる(黄金律)の2つの出来事が定まっていました。
※髑髏の騎士とはガッツの導き手に見えますが、ガッツを救った神の使いという捉え方もできます。
彼や他のガッツを救う者、ガッツの伝説を伝える者も完全律の流れに含まれるのでしょう。
※フェムトは自らの目的の為に犠牲を問わない、
ガッツは直接助けを求める者を救済する
それぞれ因果律と黄金律に従っているのです。
●ベルセルクの結末
渇望の福王とまで称されるグリフィスの夢は「自分の王国を持つこと」すなわち「全てを自分の手中に治め思い通りにする」ことであると思います。
もちろんその中には強欲であるグリフィスの心を唯一揺さぶるなにか「ガッツ」という存在も含まれています。
しかし、ガッツは完全律によって定められた内なる神である為、
いかなる手段を用いてもグリフィスの思い通りに手に入れることができません。
ベルセルクが結論として描くべき物語は、ゴッドハンドやグリフィスを倒すことではありません
ガッツとグリフィスが出会い絆を結び、それぞれの想いが道を違い、蝕が互いを引き裂き、そこから多くのものを手に入た旅路、
そしてその先にある二人の物語の終着点を描く物語だと思います。
これは予想ですが、おそらく二人の結末は
全てを手に入れたグリフィスと、全身から血を流し、視力まで奪われた満身創痍のガッツが再度一騎打ちを行い
確実にガッツに勝てる状況でも、グリフィスは絶対に勝つことができません。
見たことの無い悔しさの表情を浮かべながら、決してガッツを手に入れることができないと悟るグリフィスは
自ら築き上げた王国、今まで犠牲にしたものすべてを空虚に感じ幕を閉じるでしょう。
これこそグリフィスの報い、因果応報なのです。
因果律によって転生した使徒は因果律によって報いを受けます。
黄金律を信じる者は黄金律によって救済されます。
それが、外なる神の定めた完全律だから。
この世界には
人の運命をつかさどる
何らかの超越的な
「律」
神の手が
存在するのだろうか
少なくとも
人は自分の意思さえ
自由には出来ない
-ベルセルク5巻 剣風-